イヴァーン・ムィコライチューク
![]() イヴァーン・ヴァスィーリョヴィチ・ムィコライチューク(ウクライナ語: Іван Васильович Миколайчук、英語: Ivan Mykolaichuk、1941年6月15日 - 1987年8月3日)は、ウクライナの俳優、映画監督、脚本家、作曲家。ウクライナ語の発音に基づく標準的な日本語表記は「イヴァン・ヴァシリョヴィチ・ミコライチュク」である[1]。 ウクライナ詩的映画の中心的存在で、34の映画に出演、9本の脚本を書き、2本の監督作を残した。セルゲイ・パラジャーノフに「オレクサンドル・ドヴジェンコに匹敵する国民的才能」と称され、「ウクライナ映画の魂」と呼ばれる[2]。タラス・シェフチェンコ国家賞を1988年に死後受賞。 経歴幼少期と教育1941年6月15日、ウクライナSSRのチェルニウツィー州キツマニ地区チョルトリヤで、13人きょうだいの農民家庭に生まれた[3]。10人が成人し、現在も一部のきょうだいがチョルトリヤに在住。 実家はイヴァン・ミコライチュク記念博物館として再建され、姉フロジナ・グリツュクと甥ヴァシーリが管理する[4]。 12歳から村の素人劇団で活動し、ミハイル・スタリツキーの『不幸な女』で老父イヴァン役を演じた[5]。 ブルスニツャの中学校を卒業(旧校舎は現存、新校舎にミコライチュク博物館)[6]。 1957年にシドール・ヴォロブケヴィチ記念チェルニウツィー芸術大学、1961年にオルガ・コビリャンスカ記念チェルニウツィー音楽劇場付属劇場スタジオを卒業。1963年から1965年、イヴァン・カルペンコ=カリイ記念キエフ国立劇場映画テレビ大学の俳優科(ヴィクトル・イフチェンコクラス)で学ぶ[3]。 1962年8月29日、チェルニウツィー劇場の女優マリヤ・カルピュクと結婚[7]。 俳優としてのキャリア学生時代、レオニード・オシカの短編『二人の若者』(1964年)で映画デビュー。ドヴジェンコ映画スタジオでヴィクトル・イフチェンコの推薦を受け、セルゲイ・パラジャーノフの『火の馬』(原題:Тіні забутих предків、1964年)のイヴァン・パリイチュク役のオーディションに参加。パラジャーノフは当初別の俳優を起用予定だったが、ムィコライチュークの即興祈祷に感銘を受け主役に抜擢。「純粋さ、情熱、感情の爆発」で撮影陣を魅了したとされる[2][8]。同年、ウラジーミル・デニセンコの『夢』で若きタラス・シェフチェンコを演じ、2作同時撮影しながら2年生を修了。『火の馬』は39の国際賞、28の映画祭賞(24のグランプリ)を獲得し、ギネス世界記録に登録された[5]。 1970年の『コミサール』では、鋭い道徳観と精神的理想主義を持つコミサール・グロモフを演じ、心理的深みとキャラクターの矛盾を表現。1971年の『黒い斑点のある白い鳥』(ユーリー・イリエンコ監督)では俳優(ペトロ役)兼脚本家として参加し、モスクワ国際映画祭金賞を受賞。1972年の『紛失した特許状』(ボリス・イフチェンコ監督)ではコサックのヴァシーリ役を演じ、共同監督と音楽監修を務め、バンドゥーラの革新的な使用やニナ・マトヴィエンコらのトリオ「黄金の鍵」の歌を導入[9]。 検閲と創作制限1960-70年代、ウクライナ文化人への弾圧が強化。1968年の『アンニチカ』撮影中、ムィコライチュークは「民族主義」疑惑で告発され、国家主義と愛国心の違いを弁明するも「敵対的イデオロギーの人物」とされた。『黒い斑点のある白い鳥』も「国家主義的」と批判され、ムィコライチュークは当局の尋問を受けた。『火の馬』は長期間上映禁止、『紛失した特許状』は1980年代末まで公開延期。1970年代中盤、党の指示でムィコライチュークは5年間ほとんどの撮影から排除された[9]。 1979年、ハルキウ州共産党イデオロギー担当書記ヴォロディミル・イヴァシュコの後援で、ヴァシーリ・ゼムリャクの小説に基づく『バビロンXX』(1979年)の制作が許可。ムィコライチュークは監督、俳優、脚本家、作曲家を兼任し、ドゥシャンベの全ソビエト映画祭で最優秀監督賞を受賞[5]。1981年の監督作『遅く、暖かな秋』はイデオロギー問題で再撮影を強いられ、成功を収めなかった。1983年に脚本『イヴァンの戯言』を執筆し、1986年に撮影許可を得るも、病により実現せず(ボリス・イフチェンコが1989年に完成)[10]。 晩年と死1987年8月3日、癌のためキエフで46歳で死去。バイコヴェ墓地に埋葬され、墓碑には『石の十字架』を模した十字架が立つ[3]。 私生活1962年にマリヤ・ミコライチュク(旧姓カルピュク)と結婚。マリヤはニナ・マトヴィエンコらとトリオ「黄金の鍵」で活動し、ムィコライチュークの映画音楽に参加。夫妻に子はいなかったが、終生のパートナーとして創作を支えた[7]。 作品フィルモグラフィ
芸術的特徴ムィコライチュークの演技は、ウクライナ詩的映画の特徴である精神的純粋さと象徴性を体現。『火の馬』のイヴァン役では情熱と神聖さを、『黒い斑点のある白い鳥』のペトロ役では複雑な心理を表現。脚本家としてはウクライナのフォークロアを現代的に再解釈し、『紛失した特許状』ではバンドゥーラの革新的な使用や民謡の導入で音楽性を強化。監督作『バビロンXX』は、村の共同体を通じてウクライナの歴史と魂を描き、視覚的詩情と民族意識を融合させた[11]。 受賞
記念
関連ドキュメンタリー
ギャラリー
出典
外部リンク
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