瀬沼茂樹瀬沼 茂樹(せぬま しげき、1904年10月6日 - 1988年8月14日)は、日本の文芸評論家、翻訳家。本名は鈴木忠直。 来歴東京府生まれ。1929年、東京商科大学(現一橋大学)卒。金子鷹之助ゼミでノヴァーリスを学んだ。在学中伊藤整と知り合い終生の親友となる。出版社に勤め、1930年、伊藤の『文芸レビュー』同人となり、谷川徹三の知遇を得て評論活動を始める。1932年、イポリット・テーヌの『文学史の方法』を翻訳、岩波文庫から刊行。唐木順三、藤原定らと季刊『理論』を創刊、1933年、最初の著書『現代文学』を上梓、1934年、埼玉県立商業学校教師、1935年、川越中学校教師、1937年から化粧品会社に勤め、執筆活動を一時休止。 1946年、『新日本文学』に拠って評論活動を再開、小田切秀雄、猪野謙二と知遇を得る。 1949年に日本大学講師となるが結核を患い、文筆に専念することに決心する。その後、稲垣達郎、猪野、川副国基と親しく交わる。 1960年、日本大学芸術学部教授。1963年に日本近代文学館が創立されると理事に就任。 1965年、大正大学講師となる。1967年、日本ペンクラブ理事。1969年、大正大学教授。同年11月に旧友伊藤整が死去。 1971年から伊藤の未完の連載『日本文壇史』の続きを執筆開始。 1975年、文学博士号取得、大正大学を退任。1976年、勲四等瑞宝章受章。 1979年、『日本文壇史』全6巻で読売文学賞受賞。 1953年、当時、早川書房編集者であった宮田昇のブレインとして「翻訳ミステリの安価なシリーズ」を奨め、これがハヤカワ・ポケット・ミステリの創刊につながった[1]。 瀬沼自身にもミステリ等の翻訳がある。 1988年死去。墓所は港区光林寺。没後、蔵書の一部が日本近代文学館に収められ、1997年に『瀬沼茂樹文庫目録』が出版された。 著書単著
翻訳
記念論集
脚注
参考
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