澤家
澤家(さわけ、新字体:沢家)は、広澄流清原氏の流れを汲む公家・華族。公家としての家格は半家。華族としての家格ははじめ子爵、後に伯爵家。 概要江戸時代の初めの正二位大蔵卿伏原宣幸(ふせはら のぶゆき、1637年(寛永14年) – 1705年(宝永2年))の次男で従二位右衛門佐澤忠量(さわ ただかず、1637年(寛永14年) – 1754年(宝暦4年))を祖とする。 江戸時代の家禄は30石。幕末には為量・宣嘉父子が勤皇・攘夷派の急先鋒として鎮撫使にも任じられ活躍した。 明治時代には為量が子爵に叙せられたが、為量(奥羽鎮撫副総督)・宣嘉(九州鎮撫総督)父子の明治維新での功績が考慮され、宣量の代に伯爵に (しょうしゃく)し、半家の中で唯一の伯爵家となった[1]。 現在は元々の旧伯爵澤家が断絶。その為かつて分家であった旧男爵澤家が澤家の本流として祭祀を継承した形をとっている。墓所は雑司ヶ谷霊園に存在した旧伯爵澤家の墓石は2018年(平成30年)頃に改葬され、同霊園に現存する澤家、伝通院に澤宣嘉の墓石が残されている。 系図
脚注注釈出典参考文献
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