漆原裕治
漆原 裕治(うるしはら ゆうじ、1978年8月21日[1] - )は、日本の会社員、YouTuber。 ハルタ社員。TBS『SASUKE』史上3人目の完全制覇者であり史上初の2度の完全制覇者である。血液型はAB型[動画 1]。 来歴幼少期から走る・跳び箱など身体を動かすことが好きで、一輪車など「できなかったことを出来るようにする」のが楽しかったという。小学校時代に体操で金メダルを獲ることを夢見て、中学でバック転やバク宙を覚えるために体操部に入部。工業高校に進学後も体操部に入部したが、漆原以外入部希望者がおらず、程無くして廃部になる。その後は他の部活に入らず、授業後、学校のトレーニングルームに一人で通う生活を送った。高校卒業後は株式会社ハルタの工場に勤務[1]し、終業後に工場の屋上でトレーニングすることが日課となる。 2003年の『SASUKE』第11回大会[3]前にTBS『体育王国』内のコーナーであるモンキーバーズ(100mうんてい)に、最優秀成績者の特典である『SASUKE』の出場権獲得を目指して出場、上位入賞の成績を収めるも出場には至らず。また、2004年の第13回大会[3]前に『黄金筋肉』内で開催されたSASUKE出場権争奪戦「SASUKE TRIAL」にも挑戦したが、本戦出場は果たせなかった。 以後出場への気持ちは途絶えていたが、お台場にSASUKEの実寸大セットに触れるテーマパーク「マッスルパーク」(閉園済み)の存在を知り、興味本位で挑戦し一発でクリアしたことをきっかけに、『SASUKE』の予選会やイベントに呼ばれるようになり、2008年、30歳の時に第21回大会の本選に出場することとなった[1]。 初出場は1st STAGEリタイアとなったが、2度目の出場でFINAL進出を果たすなど頭角を現し、SASUKEオールスターズより若い実力選手を総称したSASUKE新世代のリーダーと呼ばれ、番組内でも中心選手の1人となる。2010年元日放送の『SASUKE2010元日』で史上3人目の完全制覇を達成。翌年の『SASUKE2011秋』では史上初の2度目の完全制覇を達成した。 完全制覇以降、長期間に渡って成績低迷のスランプに苦しんだが、2017年秋放送の『SASUKE2017秋』では、1st STAGEをクリア出来なければ引退という覚悟で臨み、クリアして引退を回避した。 2018年10月、2014年に豊洲のSASUKEパーク運営に携わっていた女性と結婚[注 1]。相手の女性が子持ちであったことから、結婚と同時に一児の継父となった。 2019年7月13日、豊洲の式場で結婚式が執り行われ、SASUKEオールスターズの山本進悟をはじめSASUKEに所縁のある人物が数多く出席した[動画 2][動画 3]。 2020年8月19日、妻との間に女児が誕生し、二子の父親となった[4][動画 4]。 2022年7月18日、「ショップうるしはら」の名でメルカリアプリでオリジナルグッズの販売を開始した[5]。 人物
YouTube2016年2月、クレイジークリフハンガーのトレーニング動画を投稿したことを機に、自身のYouTubeチャンネルを開設。 エリアトレーニングの様子を撮影した動画等をアップロードしており、共に『SASUKE』に挑戦している選手が動画に出演することも多い。特に日置将士、又地諒、鈴木祐輔の出演頻度が非常に高く、昨今では彼らとプライベートで遊びに興じる動画も見ることができ、普段からの親交の深さが窺い知れる。時には日置の自宅が動画の撮影場所になる事も多い。自己紹介時は手を叩いて「はいどうも~、漆原ですけれども~」と言うのが定番(動画の内容に応じて変わることや、森渉、朝一眞が言うことなどもある)。 結婚後は動画内に妻のコメントが入ることも多い。また編集作業は当初は漆原がやっていたが、現在は全て妻が担当している[動画 8]。 第35回大会以降は、出場した選手は動画で自身の挑戦を振り返ることが恒例化し、リタイア選手は「反省会」、完全制覇を達成した選手は「ヒーローインタビュー」の名目で行われる。 2024年11月25日、Youtubeチャンネルが何者かに乗っ取られるという異常事態が発生。後にガイドライン違反によって削除され、復旧にも時間を要する見込みだったが、10日後の2024年12月5日にチャンネルが復旧した。 SASUKEでの戦歴大会ごとの戦歴第20回大会以前第11回前のモンキーバーズ(100mうんてい)、第13回前の「SASUKEトライアル」、第19回前のマッスルパーク予選会、第20回予選会などに参加するも全て敗退に終わる。 第21回大会~第23回大会第21回前に山田勝己の地元・兵庫県三木市で行われたイベント「BUG in MIKI Vol.8」のSASUKEセットの決勝戦(パイプスライダー、ランプグラスパー、そり立つ壁、デビルステップス、サーモンラダー3段、新クリフハンガーの順番で構成されたタイムアタック)最速タイムでクリアしたことがきっかけで本選出場が決定。この模様は『サスケマニア』でも放送され、山田が漆原に握手する場面もあった。 初出場の第21回はゼッケン72番で出場。自身の出番直前に山本進悟がフライングシュートで脱落する中、山田から同エリア攻略のアドバイスを受けたが、そのフライングシュートで網への移行に失敗しリタイア。放送では全カットだったが『サスケマニア』にて放送された。 第22回は予選会を突破し出場。1stを7.51秒残しの最速タイムで初のクリア。勢いに乗って2ndもクリアし、3rdを初挑戦でクリア。第12回の白鳥文平以来の快挙を成し遂げ、第18回のリニューアル後初のファイナリストに名乗りを上げた。FINALではゴールボタン手前残り数十cmでタイムアップしたものの、自身初の最優秀成績者となる(ゼッケン77)。 第23回は前回の活躍もありゼッケン99番と大躍進。1stを突破し、インタビューでは「(精神的には)ギリギリで、前回より落ち着いている分辛かったです」と語った。2ndではアンステーブルブリッジで1枚目に飛び移る際に片手が外れたが、もう片方の手で支えるリカバリーを見せた。しかし、同エリアから対岸へ着地を行う際に、上半身の重心が後方に残っている状態で進もうとし後ろに転落。板を掴み直しリカバリーしようとするも、2点吊りの板が縦向きになっていた為に掴む事が出来ず、そのまま脱落となった。 第24回大会第24回は1stを24.35秒残しの最速タイムで突破し、2ndでは前回リタイアしたアンステーブルブリッジも危なげなく攻略。3rdは最終エリアグライディングリングではリングが一瞬後退したが立て直し突破。ファイナリスト5人のうちの一人となる。Gロープ対策にゴム足袋を利用し、3.57秒を残して史上3人目の完全制覇を達成(ゼッケン93)。後のインタビューで彼は「自分がここまで来れたのは仲間達のおかげなので、よかったです」と語ると同時に「でも(自分は)オールスターズを目指してきたので、これ(完全制覇)はオールスターズがいなかったら無かったと思うので本当に感謝しています」とオールスターズに向けて感謝の言葉を語った。史上4人目となる2度目の最優秀成績者となる。また完全制覇の賞与として、当時スポンサー企業だった日産自動車からフーガが贈呈されている。直近2大会でゼッケン100番を着けなかった選手が完全制覇を果たしたのは今回のみである。また最終競技者でない選手が完全制覇を達成したのも現時点で唯一の事例である。[注 4] なお第24回放送終了後に「ゴム足袋を履くのはアンフェアである」というクレームがTBSに押し寄せる事態となった。これは放送上でゴム足袋について触れられたのが漆原のみであったために「ゴム足袋を漆原のみが使用した」と勘違いした視聴者が多かったことによるものである。実際のところゴム足袋使用はルール違反ではなく、今大会では漆原を含めリーエンチ以外の4人のファイナリストがゴム足袋を使用していた。 第25回大会・第26回大会第25回は前回完全制覇を果たしたこともあり、自身として初めてゼッケン100を背負い、秋山和彦と長野誠がリタイアした中での挑戦。1stでは復活エリアローリング丸太で目を回す場面もありながらも、安定したパフォーマンスで突破。しかし2ndのダブルサーモンラダーで1つ目から2つ目へ移動する際に、真横にある突起の一段上を狙おうとしたためバーが脱線。バーが片方の突起にかかり、落下はしなかったもののバーを上げられずにそのまま足を着水させた。その後のインタビューで、一段上を狙ったことに対して「油断してましたね。難なく行けると思ったんですけど…」と語っている。なお、このとき歯を1本失ったことを明かしている。この脱落により完全制覇者3人はここまでで全滅。 第26回は大会の1週間前にインフルエンザに罹患し[要出典]、病み上がりでほとんど調整する時間がないまま大会に臨んだ。自身の前に挑戦した長野誠が初の3大会連続1stリタイアをしている状況で、非常にプレッシャーがかかる中での挑戦となる。新エリアローリングエスカルゴに苦戦しながらもジャンピングスパイダーに到達。一度入り口付近に張り付いた後、バランスを崩し落下したが、落下の際に壁を蹴って後方に戻り、トランポリンの上に背面から着地し、リタイアを免れるという驚異のリカバリーを見せた。しかし次のエリアのハーフパイプアタックで、1度着地ミスを犯し、2度目で着地したが、直後に突如バランスを崩し浮島から滑落する形でリタイア。自身2度目となる1stステージリタイアとなった。挑戦後のインタビューでは「情けなかったです。すみません」と涙ながらに語った(ゼッケン100)。 第27回大会第27回では、ゼッケン100番を返上し長野誠の前となるゼッケン99での挑戦。前回のローリングエスカルゴで痛感した三半規管の弱さを克服すべく、側転を繰り返してきた。1stを15.08秒を残しでクリア。続く2ndもダブルサーモンラダーへのリベンジを果たし余裕のクリア。3rdでは、多くの選手がアルティメットクリフハンガーでリタイアする中で淡々と攻略。ロープクライムでやや苦戦する場面も見られたが、最終エリアのバーグライダーで完璧な跳躍を見せ、自身3度目のファイナリストとなる。迎えたFINALでは、前回の完全制覇時にクレームが多かったというゴム足袋を封印。終始軽快なペースで綱を登り、6秒71残しで自身2度目の完全制覇を達成した。インタビューでは「もう…言葉にならないですね。人生ってこんな事があるんですね。もうSASUKEは、辛い事も、楽しい事も、全部与えてくれた物だったので、もう無我夢中で心を込めて登りました」と語った。これでSASUKE史上初の2度の完全制覇者となると同時に、自身3度目の最優秀成績者となった。 第28回大会~第31回大会第28回ではゼッケン88で出場し自身初のゼッケン80番台での挑戦となった。1stはスピンブリッジでやや体勢を崩す場面が見られたが、その後は盤石のパフォーマンスで21.37秒残して最速クリア。2ndでは初の水中エリアであるバックストリームに対し、「泳ぎはあまり得意ではない」と不安視していた。当のステージはなんとかクリアしたが、競技終了後のインタビューでは「今までの2ndの中で一番疲れました」と答えた。自身初の2大会連続での挑戦となった3rdでは、クレイジークリフハンガーの3→4本目で脱落。自身初の3rdリタイアとなり、3年連続完全制覇の夢が潰えたものの、2大会連続4度目の最優秀成績者(タイ)となる。 第29回は2大会ぶりにゼッケン99での出場。1stを攻略したが、2ndのバックストリームで後少しのところで波に押し戻されてしまいタイムアップ。 第30回は完全制覇を達成した第24回と同じ93人目(ゼッケン2993)で出場。1stは各エリアをスムーズに攻略し、27人中6位の23.00秒残しの速いタイムでクリアしたが、2ndではバックストリームに苦戦し、ウォールリフティングの1枚目に潰されタイムアップ。自身初の2大会連続での2ndリタイア。 第31回はゼッケン99で出場。1sの新エリア・タックルで脚力を消耗し、そり立つ壁を越えることができずに4年半振りの1stリタイアを喫する。競技終了後も確かめるようにそり立つ壁に挑戦するが手をかける事ができず、インタビューで「こんなに完全制覇が遠く見えたのは初めてかもしれないですね」とコメントした。 第32回大会~第38回大会第32回は前回のタックルでの脚力の消耗を受け、下半身強化に勤しんできたが、新エリア・ダブルペンダラムのバーに飛び付く際に勢いを殺してしまい、続くサンドバッグへ飛び移り切れず落下。出場12回目にして自身初の2大会連続1stリタイアとなった(ゼッケン89)。 第33回は前回同様ゼッケン89で出場となったが、ローリングヒルの上りでローラーが回転してしまい、そのまま落水してリタイア。前回からさらに成績が低迷する形となり、これで3大会連続の1stリタイアとなる。 第34回に向け、漆原は近年続いてきた1stリタイアによる成績の低迷を「不甲斐ないもの」であったとし「1stでリタイアを喫した時は引退をします」と宣言し、不退転の覚悟を以て大会に臨んだ。第31回以来のゼッケン99で出場し、リタイア経験のあるダブルペンダラム、そり立つ壁を突破し、11.87秒残しでのクリア。クリア直後は「完全制覇より全然嬉しいです」と語り、インタビューでは「仲間の応援があったからできました、良い仲間に恵まれて僕は幸せです」と語り、共にSASUKEに挑んできた選手達への感謝の言葉を述べた。3年ぶりに挑んだ2ndでは、以前に苦戦したバックストリームで体力と時間を消耗。直後のリバースコンベアーをクリアと同時にタイムアップとなり2ndステージリタイア。3rd進出とまでは至らなかったが、弟子である塚田僚一の成績を初めて上回った。 第35回は1stの新エリアにして難関のドラゴングライダーの数少ない突破者となるも、前回超えたそり立つ壁を登り切ることが出来ずタイムアップ。競技終了後に再度チャレンジして今度は成功。そのまま壁のへりを掴んで悔しさを爆発させた(ゼッケン95)。 第36回は前回同様ゼッケン95番で出場。1stは前回リタイアしたそり立つ壁を越え、6.49秒を残して2大会ぶりにクリア。2ndでは前々回リタイアしたリバースコンベアーも攻略し2.19秒残しで6年ぶりに3rdへ進出。3rdでは、初めて体験するサイドワインダー、プラネットブリッジをクリアし、ウルトラクレイジークリフハンガーといった難関エリアの数少ない攻略者となった。しかし、続くバーティカルリミットの2枚目から3枚目の移行で指が限界を迎え、ここを超えた直後に苦悶の雄叫びをあげ落下しリタイア。なお、40代によるクリフハンガー攻略は全ての形態において史上初。 第37回は1st・2ndをクリアし2大会連続の3rd進出を決め、前回脱落したバーティカルリミットもクリア。しかし最終エリアのパイプスライダーでグリーンバー(休憩地点)からエリアに突入する際に勢いをつけすぎてバーが左にずれ、レールから脱線し落下(ゼッケン96)。バーがレールから外れ挑戦者が脱落となるパターンは第4回以来実に20年ぶりの悲劇となり、8年ぶり4回目のファイナル進出を逃した。挑戦後のインタビューでは「僕も(パイプスライダーに到達した時点で)ゴール出来ると思っていたので、そこが甘えだったと思います」と分析したものの、FINALを目前にしての落下に「どうしてもFINAL行きたかったですね。行きたかったです」「これで終わると一生悔いが残るので、また戻って来たいと思います」と、涙ながらに悔しさを吐露した。 漆原は3rdクリアが過去3回あるもののこの回まで本大会でのパイプスライダーは未経験だった(3rdの最終エリアは第22・24回ではグライディングリング、第27回はバーグライダー)。このリタイアによって、歴代完全制覇者全員がパイプスライダーでのリタイアを経験したことになった。 第38回は、第34回大会以来のゼッケン99番で登場。1stは警告音を聞くこと無くクリア。2ndでは新エリアのローリングログの影響もあり、タイムロスが重なったため、ウォールリフティングの3枚目を上げ切ったところでタイムアップとなったが、挑戦後に仲間に対して「そんなに疲れていない」と言い明かした。今大会は、第28回以降初めて新世代が2ndで全滅したものの、新世代の中では2大会連続で最優秀成績を収めた。 第39回大会~第39回は、前回に引き続きゼッケン99番として登場。降雨の影響で、7人連続リタイア中の状況での1st挑戦となったが、直前の選手ら同様、2連そり立つ壁の2つ目の壁で滑り登る事が出来ずタイムアップ。4大会ぶりの1stリタイアを喫した。 第40回も、99人目の挑戦者(ゼッケン3999番)で登場。1stステージは警告音を聞くことなく余裕のクリア。2ndステージは、ローリングログの影響でサーモンラダー前で2回尻餅をつき、バーが掴めずタイムロス。しかしそこから追い上げ、ギリギリのクリア。SASUKE史上初の5期にも渡る3rd進出を果たした。 3rdはサイドワインダーを高速でクリアするパフォーマンスを見せ、初挑戦のスイングエッジもクリア。自身2度目のクリフディメンションは飛び移りが2回とも最上点からのジャンプだったが、見事攻略。動いているクリフディメンションも40代初の攻略となった[注 5]。しかし、次のバーティカルリミットの2本目から3本目に移る際に、2本目にかけていた手が突起から離れてしまいリタイア。直近5大会中3大会3rd進出は完全制覇した頃よりも安定した成績を収めており、40代でも衰えない実力を見せた。 第41回はゼッケン97番で登場。1stステージは8.92秒残しでクリア。2ndステージは前回に引き続き警告音を鳴らしながらも2.34秒残しでクリア。45歳で3rd進出という自身の持つ最年長記録を更新し、2大会連続の3rd進出。クリア直後には「余裕だよ!」と叫んだ。3rdは前回クリアしたクリフディメンションの3本目を掴み損ねてリタイア。クリフ系列のエリアでのリタイアはクレイジークリフハンガーが初登場した第28回大会以来2度目。 第42回大会は2大会ぶりのゼッケン99番で登場。1stは9.66秒残しで危なげなくクリア。 続く2ndステージでは前回大会より5秒短くなった中、4.04秒残しでクリア。46歳で2ndクリアを達成し、自身の持つ最年長記録を更新。自身初の3大会連続の3rd進出を果たした。3rdはリニューアルされたスイングエッジをクリアするも、前回同様クリフディメンションの3本目を掴めずリタイア。3大会連続でSASUKE新世代の中での最優秀成績となった。なお、今大会で漆原が1stをクリアしたことにより、1stクリア回数が長野誠を上回り単独3位になった。また今大会は出場したSASUKE新世代が全員1stをクリアし、30回記念大会以来となった。 SASUKEワールドカップ2024
2024年8月21日に放送された「SASUKE ワールドカップ」にてJAPAN Blueのキャプテンとしてゼッケン1番をつけて出場[6] 。1stはヒート内3位となる107.87秒のタイムでクリア。2ndは未出場。3rdは第41回大会同様にクリフディメンションの2回目の飛び移りに失敗。 大会別成績
通算成績
最速タイム
テーマ曲専用のBGMがテーマソングとして存在する。
特筆
本大会以外での出来事
出演テレビ
雑誌
脚注注釈
動画
出典
外部リンク |
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