源 高雅(みなもと の たかまさ)は、平安時代中期の貴族。醍醐源氏、三品・有明親王の孫。弾正大弼・源守清の長男。官位は従四位下・中宮亮。
経歴
円融朝の貞元3年(978年)左衛門佐から大蔵少輔に遷る。
一条朝にて但馬守・甲斐守・讃岐守・近江守と地方官を歴任し、位階は長保3年(1001年)に従四位下に至っている。妻(藤原親明の娘)が藤原道長室の源倫子の乳母子であり、高雅は道長の家司も務めた。長保2年(1000年)道長の娘である藤原彰子が立后すると中宮権大進(のち中宮亮)に任ぜられている。
寛弘6年(1009年)8月27日に官職を辞して翌日出家。まもなく卒去したとみられる。没年は不明だが寛弘9年(1012年)の時点では「故高雅」と書かれていた事からこの年には没していた[1]。
子女達に恵まれ、娘の1人の公子は道長次男の藤原頼宗の妾妻となって基貞を産み、懿子は道長の六男の藤原長家の後妻となり藤原定家の曽祖父である忠家等を生んでいる。
官歴
系譜
脚注
- ^ 『小右記』長和元(1012)年6月29日条
- ^ 『公卿補任』永延元年 藤原道綱条
- ^ a b c d e 『権記』
- ^ a b 『母后代々御賀記』
- ^ a b 『御堂関白記』
- ^ 『権記』寛弘4年11月10日条
- ^ 野々村[2012: 126]
- ^ a b 角田文衞「後一条天皇の乳母たち」『王朝の明暗 平安時代史の研究 第二冊』東京堂出版、1977年、171ー172頁。
- ^ 野口孝子「平安貴族社会の邸宅伝領-藤原道長の子女の伝領をめぐって-」『古代文化』第57-6号、2005年。 /所収:野口孝子『平安貴族の空間と時間-藤原道長の妻女と邸宅の伝領-』清文堂出版、2024年、97-99頁。ISBN 978-4-7924-1533-4。 ただし、野口は基子を彰子の乳母と誤って解説している。
- ^ 『権記』長保4年7月16日条
参考文献
- 黒板勝美編『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
- 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
- 角田文衛『王朝の明暗』東京堂出版、1977年
- 新田孝子『栄花物語の乳母の系譜』風間書房、2003年
- 野々村ゆかり「摂関期における乳母の系譜と歴史的役割 (杉橋隆夫教授退職記念論集)」『立命館文學 624』立命館大学、2012年