有明親王
有明親王(ありあきらしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。醍醐天皇の第七皇子。官位は三品・兵部卿。 経歴醍醐朝の延喜11年(911年)式明親王・敏子内親王・雅子内親王・普子内親王とともに親王宣下。延喜21年(921年)重明親王・常明親王・式明親王とともに清涼殿で元服した。加冠は右近衛大将・藤原定方で、理髪は右近衛中将・藤原公頼であった[1]。 朱雀朝から村上朝初期にかけて10年以上に亘って常陸太守を務め、のち大宰帥・兵部卿を歴任した。この間の天徳3年(959年)8月1日に帯剣を聴されている。 応和元年(961年)閏3月27日薨去。享年52。最終官位は兵部卿三品。 官歴
系譜脚注参考文献
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