源具氏
源 具氏(みなもと の ともうじ)は、鎌倉時代中期の公卿。中院、土御門、堀河と号す。従三位・源通氏の子。 子の具顕(? - 1287年)と北畠親子は伏見天皇側近の京極派歌人として知られている。具顕は『弘安源氏論議』を弘安3年(1280年)に著したことでも知られる。 『徒然草』第135段 の具氏具氏は『徒然草』第135段に登場することで知られる。具氏が藤原資季に投げかけたなぞなぞ、「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう」は今日なお謎であり、様々な解釈がされている。 後嵯峨院の近臣後嵯峨院が亀山殿で開いた歌合で読師を勤め、御遊では琵琶を弾くなど[3]、『増鏡』にはしばしば具氏が登場する。播磨守を兼ねたのは後嵯峨院の御分であり、蔵人頭への補任も後嵯峨院政下である。父の通氏は早世したが、具氏の才幹を認めた後嵯峨院に近臣として取り立てられたと見ることができる。 官歴以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
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