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源通氏
この項目では、鎌倉時代初期の公卿について説明しています。
南北朝時代の公卿については「
中院通氏
」をご覧ください。
凡例
源通氏
時代
鎌倉時代
前期
生誕
建保
元年(
1213年
)
死没
嘉禎
4年
7月25日
(
1238年
9月5日
)
別名
中院
官位
従三位
、
右中将
主君
後鳥羽上皇
→
仲恭天皇
→
後堀河天皇
→
四条天皇
氏族
村上源氏
中院家
父母
父:
中院通方
母:藤原則子(
藤原長兼
[
1
]
の娘)
兄弟
通氏
、
中院通成
、
北畠雅家
、
土御門顕方
、
土御門通世
、大納言局(
後嵯峨院
典侍
)、
花山院通雅
室、
ほか
妻
法印珍喜の娘
子
具氏
[
2
]
テンプレートを表示
源 通氏
(みなもと の みちうじ)は、
鎌倉時代
前期の
公卿
。
正二位
大納言
・
源通方
の長男。
官歴
承久
元年(
1219年
)1月5日:
叙爵
。
承久2年(
1220年
)4月6日:
侍従
。
承久4年(
1222年
)4月6日:
従五位上
。
貞応
2年(
1223年
)1月23日:兼
遠江介
。
嘉禄
2年(
1226年
)1月5日:
正五位下
。
安貞
2年(
1228年
)1月5日:
従四位下
。侍従如元。
寛喜
元年(
1229年
)10月5日:
右少将
。
寛喜2年(
1230年
)1月20日:兼
讃岐介
。
寛喜4年(
1232年
)1月5日:
従四位上
。
貞永
2年(
1233年
)1月28日:
正四位下
。
文暦
元年(
1234年
)12月25日:
右中将
に転任。
文暦2年(
1235年
)1月23日:兼讃岐介。
嘉禎
4年(
1238年
)1月5日:
従三位
。7月25日:薨去。死因は
赤痢
であるという。
系譜
父:
中院通方
(1189-1239)
母:藤原則子 -
藤原長兼
の娘
妻:法印珍喜の娘
男子:
源具氏
(1231/1232-1275)
脚注
^
日記『
三長記
』の記者。
^
『
徒然草
』第135段に登場する。
出典
『
公卿補任
』(新訂増補国史大系)
吉川弘文館
黒板勝美
、国史大系編集会(編) ※ 嘉禎4年(
1238年
)に通氏が
非参議
従三位となった時の記事。
『
尊卑分脈
』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編) ※「源通氏」および「
源通方
」、
中院通成
の項。