河内 信朝(こうち のぶとも、嘉永2年6月22日[1](1849年8月10日) - 明治36年(1903年)5月13日)は、日本の教育者。旧名朝之亮[1]。
経歴
長州藩出身。藩校明倫館で漢学を学び、小倉口の戦いに出征し、負傷した。1871年(明治4年)、貢進生となり、大学南校に入学した[1]。その後、司法省に出仕して、東京控訴院判事となった。1883年(明治16年)、司法官を辞して、山口中学校(後の旧制山口高等学校)校長に転じ、1886年(明治19年)に山口高等中学校に改編後も引き続き校長を務めた[1]。1896年(明治29年)、山口県尋常師範学校校長となり、翌年には高等師範学校校長となるが、程なくして文部書記官・大臣官房文書課長に転じた[1]。その後、1898年(明治31年)から1900年(明治33年)まで山口高等学校校長を務めた[1]。
脚注
参考文献
山口大学学長(山口高等学校長:1898年 - 1900年) (山口高等中学校長:1887年 - 1893年) |
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- 初代 松山基範 1949-1958
- 事務取扱/第2代 田中晃 1958/1958-1962
- 第3代 市川禎治 1962-1969
- 事務取扱 田中弘道 1969-1970
- 事務取扱/第4代 力武一郎 1970-1971/1971-1973
- 第5代 中村正二郎 1973-1977
- 事務取扱 戸田光敬 1977-1978
- 第6代 小西俊造 1978-1984
- 事務取扱 岩城秀夫 1984
- 第7代 粟屋和彦 1984-1990
- 第8代 三分一政男 1990-1993
- 第9代 村上悳 1993-1996
- 第10代 広中平祐 1996-2002
- 第11代 加藤紘 2002-2006
- 第12代 丸本卓哉 2006-2014
- 第13代 岡正朗 2014-2022
- 第14代 谷沢幸生 2022-
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前身諸学校・大学長 |
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東京帝国大学農科大学附属農業教員養成所主事 | |
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東京帝国大学農学部附属農業教員養成所主事 | |
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東京農業教育専門学校長 | |
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| 東京体育専門学校長 |
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体育研究所長 |
- 北豊吉 1924-1932
- 事務取扱 山川建 1932-1934
- 岩原拓 1934-1939
- 所長/事務取扱 小笠原道生 1939-1941/1941
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東京高等体育学校長 | |
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東京体育専門学校長 | |
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| 国立盲教育学校長 |
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- 事務取扱/校長 松野憲治 1949-1950/1950-1951
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| 国立ろう教育学校長 |
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- 事務取扱/校長 川本宇之介 1949-1950/1950-1951
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