池田安喜子
池田 安喜子(いけだ あきこ、明治3年6月8日(1870年7月6日)[1] - 1920年1月19日)は、侯爵・池田詮政の妻(後妻)。久邇宮朝彦親王の三女。母は泉萬喜子。香淳皇后は姪、第125代天皇・明仁(上皇)や常陸宮正仁親王は大甥にあたる。皇族時代の名と身位は安喜子女王。 生涯1890年(明治23年)12月24日、池田章政侯爵の嫡男池田詮政に降嫁した[2]。夫との間に、三男二女を産む。 1920年(大正9年)1月18日、長男禎政がスペインかぜで早世。安喜子自身も1月19日に逝去[3]。逝去に伴い、多数の皇族が服喪した[3]。 なお、昭和天皇の第4皇女・順宮厚子内親王とその夫池田隆政は、安喜子の血筋を通じて久邇宮朝彦親王の曾孫同士となる。 血縁脚注注釈出典 |