民主統一民衆運動連合
「民主統一民衆運動連合」(民統連)は、第五共和国時代の韓国において民主化運動を進めた在野勢力諸団体が結集して1985年3月29日に結成された組織である。 概要1983年9月30日に、民主化運動をリードしていた青年活動家達が結集し、初の合法的運動団体である「民主化運動青年連合」を結成させて以降、「韓国労働者福祉協議会」(韓国労協 84年3月結成)や「全国学生総連合」(全学連 85年5月結成)など各分野における民主化運動諸団体が続々結成されるなかで、合法運動圏の統合が模索されるようになった。その過程において基層運動(労働者や農民への宣伝及び組織活動)の強化と組織的な活動を掲げている各種運動団体が1984年6月に「民衆民主運動協議会」(民民協)としてまず統合を果たし、1970年代の民主化運動を指導した在野人士達は同年10月に「民主統一国民会議」(国民会議)を結成した。民民協と国民会議の2つの運動団体は、1985年2月の第12代国会議員選挙[1]を通じて、統合についての論議を活発に展開し、同年3月に両団体が統合して「民主統一民衆運動連合」が結成された。「民主化運動と民族統一運動は一つである」との理念の下に、二十五団体が加盟した。 民統連結成以降、反独裁民主化闘争、反外勢自主化闘争、民衆生存権闘争を展開し、民族民主運動(韓国における在野運動の呼名)の急進的役割を担った。86年から「民主憲法争取国民闘争委員会」を設置し、以降、新韓民主党(新民党)の改憲集会と結合し、全国民的規模の改憲運動を巻き起こすなどの役割を担った。86年5月3日、新民党仁川支部における集会(5・3仁川事態)以降に直面した運動圏への集中的な弾圧に直面した民統連は、87年5月27日に6月民衆抗争を主導する役割を担うことになる「民主憲法争取国民運動本部」(国民運動本部、国本)を結成、89年1月に結成された「全国民族民主運動連合」(全民連)を結成する過程で、民統連は解体された。 綱領
脚注
参考文献関連項目 |
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