毛福梅
毛 福梅(もう ふくばい)は、中華民国の指導者蔣介石の最初の妻。蔣経国の母。 人物1901年冬19歳の時に蔣介石の母の意志で15歳の彼と結婚して、蔣介石の母に迫られて1909年に蔣経国を産む。しかし蔣介石は早いうちから愛情を抱かなくなり、母が死ぬと1927年に離婚した。その後は仏教に帰依して摩訶殿を建立し、息子の成長を願って暮らした。1939年、日本軍の爆撃に遭って、奉化県渓口鎮の私邸豊鎬房にも数発着弾し、台所より外に逃げたところを足と腰に数発の弾を受けて、倒れた建物の下敷きになり死去した。ひどく悲しんだ蔣経国は母が倒れた台所の外の通路に「以血洗血」という四文字をしたためた石碑を建てて、抗日の決意を新たにした。この碑はその後占領した日本軍により破壊されたが、日本軍が去った後再び国民党奉化県書記王思本の写しにより再建され、現在文昌閣内の小洋房にある。 なお、毛福梅の墓は文化大革命の際、王采玉(蔣介石の母親)の墓と共に紅衛兵によって破壊された。[1] 脚注系図 |