蔣方良
蔣 方良(しょう ほうりょう、1916年5月15日 - 2004年12月15日)は、中華民国元総統・蔣経国の妻。ロシア語名は、ファイナ・イパーチエヴナ・ヴァフレヴァ (Фаина Ипатьевна Вахрева) 。結婚してソ連を出国してからは二度とふるさとの土地を踏むことが無かった。 概要ロシアのエカテリンブルク出身。幼い頃ロシア帝国の貴族であった父母を亡くし、白ロシア・ソビエト社会主義共和国(現ベラルーシ)のミンスクへ移住。姉のアンナに養育され育つ。1933年、ウラル川沿いの工場で蔣経国と出会い、2年間の交際の後1935年3月15日に結婚した。 1936年、スターリンによるトロツキスト粛清の煽りを受け、方良は夫と共にシベリアへ追放されたが翌年の第二次国共合作による中ソ関係改善に伴い、2人はウラジオストック経由でソ連を出国し蔣経国の実母毛福梅のもとで暮らした。 方良は結婚後、国民政府の大陸失陥まで経国との間に三男一女をもうけ、台湾移住後も家族と仲むつまじく暮らした。 経国が総統となって以降、方良は極力表舞台に出る事を避けるようになった。この事は日中戦争期に蔣介石のファーストレディとして華々しくアメリカ合衆国で活躍した宋美齢と比較して「沈黙のファーストレディ」と台湾マスコミに評される由縁となった。2004年、病気のため死去した。88歳没。 系図 |