段原一詞
段原 一詞(だんばら かずし、1972年[注釈 1] - )は、日本の高校サッカー指導者、教員[1]。担当教科は英語[1]。明徳義塾中学校・高等学校および秀岳館高等学校サッカー部監督を歴任した[1]。秀岳館高サッカー部のコーチ暴行事件の隠蔽に関与したが最終的に退職。元自衛官[3]。福岡県出身[1][4]。 来歴・人物東海大学第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)時代にはサッカー部に在籍[1]。1990年度の第69回全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト4に進出した[1]。 高校卒業後、サッカーに明け暮れていたとはいえ、当時は過渡期であった日本のプロサッカーが現実的ではないことから、自衛隊に入隊し、その中で引き続きサッカー部の余暇活動に打ち込んだ[3]。やがて段原らのチームが部内大会で全国制覇を成し遂げると、高知県の明徳義塾高校のサッカー部の指導者の目にとまり、打診を受けて[3]、1997年から明徳義塾中サッカー部監督と高校のコーチの兼任を引き受け、2000年の新人戦から高校の正式な監督に就任した[1]。 しかし、学校での本職は焼却炉の掃除といった雑用でしかなく、自分自身を確立するためには教員にならなければと一念発起[3]。通信教育で日本大学文理学部の英文科に入り、1日の睡眠時間が3時間の日々を4年間耐え忍んで教員の資格を取得した[3]。2001年から熊本県の秀岳館高へ移り、同校サッカー部監督に就任[3]。 2022年5月17日[2]、秀岳館高サッカー部において、男性コーチによる部員への暴行が発覚後、段原が部員に謝罪動画の撮影を指示したとされる問題で[5]、書類送検された男性コーチが懲戒解雇処分となったのに合わせ、一連の責任を取り退職願を提出、秀岳館高側が受理した[2][5][6][7]。退職時の役職は「校長補佐」であった[4][8]。 →詳細は「秀岳館高等学校 § サッカー部内における体罰」を参照
業績全国大会出場歴として、明徳義塾高時代に2000年度の第79回全国高等学校サッカー選手権大会および平成12年度全国高等学校総合体育大会が、秀岳館高時代に2014年度の第93回全国高等学校サッカー選手権大会がある[4]。 育成選手については、明徳義塾高時代に永冨裕也(2001年卒→愛媛FC)、秀岳館高時代に永冨裕尚(2003年卒→レノファ山口FC)、有村直紀(2006年卒→セレッソ大阪)、車東訓(2009年卒→FC岐阜)、八久保颯(2011年卒→ロアッソ熊本)、パブロ・ヤン・フェレイラ(2013年卒→ロアッソ熊本)、大岩亮太(2015年卒→ザスパクサツ群馬)、笹原脩平(2015年卒→サガン鳥栖)、石橋択真(2016年卒→韓国・昌原市役所FC)、ターレス・プロコピオ・カストロ・デ・パウラ(2020年卒→ロアッソ熊本)、レオナルド・ケンタ・ホサカ・カルロス(2020年卒→ロアッソ熊本)が挙げられる[4]。 脚注注釈
出典
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