武信由太郎
武信 由太郎(たけのぶ よしたろう、1863年9月5日(文久3年7月23日) - 1930年(昭和5年)4月26日[1])は、明治・大正期を代表する日本の英語学者。 経歴因幡国気多郡潮津村(現在の鳥取県鳥取市青谷町)出身[1][注釈 1]。1876年、官立愛知英語学校(のちの愛知県立第一中学校)に入学[1]、同校廃止後は愛知県中学校に編入となり[1]、1880年に卒業する[1]。同年、札幌農学校の第4期生となる[1]。1884年同校卒業[1]、長野県中学校飯田支校の英語教員[1]、1887年『ジャパン・メール』の記者となった[1]。一時期三重県の教員を務め[1]、1897年に頭本元貞と『ジャパン・タイムズ』を創刊[1]。頭本元貞(1863年-1943年) とは同郷同卒で親しく、福澤諭吉ら政財界の後押しによって、『ジャパン・タイムス』の刊行が実現した。 1898年、国家の繁栄と進展のためには英語を学ばねばならないとして、ジャパン・タイムズの仕事の傍ら、勝俣銓吉郎の協力を得て同新聞のダイジェスト版となる月刊誌『The Rising Generation 青年』(『英語青年』の前身)を創刊[1]。『青年』は広告料収入などにより地道に発刊が続けられていたが、1904年にはジャパン・タイムズ社内に英語青年社が設けられ、喜安璡太郎に『青年』出版事業を引き渡すこととなった[注釈 2]。 その後は再び教壇に戻り、東京高等師範学校教諭、そして1905年に早稲田大学商学部教授となる[1]。同年、『The Japan Year Book Office』から日本初の本格的英文年鑑「ジャパン・イヤーブック」を創刊[1]。この年鑑は、日本統治下にあった台湾、朝鮮、樺太、満州の情報を含む日本の政治、経済、社会、文化などあらゆる分野の動向を詳細な統計資料とともに各巻500-800頁ほどにまとめたもので、戦中から戦後まで継続された唯一の英文日本年鑑である[2]。ロンドン、ニューヨークに販売代理店を置き、海外でも広く販売された[2]。 1907年から『英語世界』の和訳英文を担当(- 1914年)[1]。1918年、日本初の本格的な和英辞典『武信和英大辞典』を著す[1]。この辞典は、没後の1940年に『新和英大辞典』と改題して刊行され、現在に至るまで辞典として確固たる名声を得ている[要出典]。 主な著述
脚注注釈出典
関連項目参考文献
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