正定寺 (古河市大手町)
正定寺(しょうじょうじ)は、茨城県古河市大手町(東片町)にある浄土宗の寺院。正式には、山号を証誠山、院号を宝地院、寺号を正定寺という[1]。山号は別名「利勝山」とも呼ばれる。 歴史江戸時代の寛永10年(1633年)、幕府大老を務めた古河城主・土井利勝が開基、当誉玄哲(とうよ げんてつ)が開山にあたり、土井家歴代の菩提寺となった[1]。古河城観音寺曲輪の堀を挟んだ北側に隣接し、追手門に近い武家地に立地していた。 『古河志』に引用されている当寺の略縁起によれば、開山にあたった玄哲は江戸(東京・芝)の増上寺十三世・廓山上人の弟子で、大和国(奈良県)出身。古河市下大野にある同名の「正定寺」41世だったが、利勝の招きに応じて城下にこの寺を開山。両寺ともに土井家の菩提寺として保護された[2][3][4]。 土井家墓所は東京・浅草の誓願寺にあったが、関東大震災の復興工事に伴って立ち退きが必要となり、昭和2年(1927年)、正定寺に移転・改葬。平成2年(1990年)には、増上寺内の安蓮社にあった利勝の墓碑も移されている[5][6]。 境内境内面積は3,700平方メートル。本堂は2回焼失しており、現在の本堂は1832年(天保3年)4月21日、11代古河城主である土井利位によって再興された[4]。本堂の他に、赤門・黒門・鐘楼堂の他、春日局が徳川家光より拝領し、堀田正俊が譲り受けたと伝わる開運弁女天などを収めた弁天堂、稲荷堂、芭蕉塚、徳川家綱の生母・お楽の方の墓もある[1][7]。赤門は、8代土井利里が1775年(安永4年)に建立[4]。黒門は、東京の土井邸から1933年(昭和8年)に移築されたものである。 本尊の阿弥陀如来像が安置されるほか、観音菩薩像・勢至菩薩像・善導大師像・法然上人像がある[4]。 文化財
古河七福神めぐり(弁財天)境内には弁天堂があり、毎年1月に開催される「7000歩で歩ける 古河七福神めぐり」コースの一部になっている。 交通脚注
参考文献
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