横通村(よこどおりむら)は、かつて岐阜県恵那郡に存在した村である。現在は恵那市明智町の一部である。
大字・字
- 大字:無し
- 字:北澤、前洞、中洞、東洞、下洞、柏尾、向平、雨堤、下横手、前田、岩竹坂、しをりど、藤田、渡瀬、颪、乳曾、乳曾洞、すげんとう、岩竹、瀧の口、青柏、西安、梅ケ久保、平柴、下平、横平、土助、澤の尻、大畑、笹久谷、宵、上の切、久原、柳ケ入、はぜいし、瀧坂、長久谷、洞田、才坂、虚澤、中畑、向洞、やさがいと、あづき田、平柴
歴史
三濃村が分割・越境編入となったのは、三濃村の北部(旧・横通村)と南部(旧・野原村[5]、浅谷村)が峠で隔たれており、交流面でも北部が明智町、南部が旭村との繋がりが深かったからである。越境合併の場合、様々な問題が発生することが多いのだが、三濃村の場合、住民同士の大きなトラブルは少なく、比較的順調に行われたという。
- 1953年(昭和28年)、岐阜県は三濃村と串原村との合併を計画する。
- 1954年(昭和29年)1月、三濃村は愛知県旭村から合併の申し入れを受け、1月28日には検討を開始する。村は旧・野原村、浅谷村は旭村への合併、旧・横通村は明智町への合併で意見がまとまる。この動きに対し、岐阜県は反対、愛知県は静観の立場をとる。
- 同年9月、三濃村と明智町とで旧・横通村の編入で合意がなされる。同じ頃、岐阜県と三濃村とで数度にわたり話し合いが行われ、県側は越境編入に賛成に方針変更し、1955年4月1日に分割・越境編入に決定する。
脚注
出典
- ^ 岐阜県町村合併史
- ^ 恵那郡史
- ^ a b 豊田加茂7市町村の合併の記録』:20ページ
- ^ 「岐阜県町村合併史」P743・744より抜粋
- ^ 村民は旭村の神社の氏子である。
参考文献
- 『岐阜県町村合併史』、岐阜県地方課、1961年。
- 『恵那郡史』、恵那郡教育会、1926年(大衆書房 1982年復刻)。
関連項目