横浜生絲取引所

横浜生絲取引所(よこはまきいととりひきじょ、Yokohama Raw Silk Exchange)は、かつて横浜に存在した商品取引所である。

沿革

  • 1893年明治26年):取引所法制定・発布。
  • 1894年明治27年)7月1日:前身である「横浜蚕糸外四品取引所」が設立。蚕糸、製茶、綿布、織物、海産物の取引が行われた。
  • 1910年明治43年)3月:「横浜米穀取引所」と合併し「株式会社横浜取引所」と改称。
  • 1914年大正3年):第一次世界大戦による蚕糸恐慌。明治末から1915年の間に東京・長浜・福島の取引所が生糸の上場を廃止。1928年に神戸の取引所が生糸を上場するまで、日本唯一の生糸取引所となる。
  • 1923年大正12年)9月1日関東大震災で生糸取引所、生糸検査所、絹業試験場が被災。各倉庫に保管されていた生糸約5万5千梱(3万俵余り)が焼失した。
  • 1943年昭和18年)6月:戦時下による蚕糸業大幅縮小や経済統制などの影響を受け、横浜と神戸の取引所解散。
  • 1951年昭和26年)5月12日:「横浜取引所」を継承して、「横浜生絲取引所」発足。8年ぶりに生糸の取引を再開した。同年5月14日には神戸生絲取引所も発足。
  • 1966年昭和41年):輸入量が輸出量を上回る。
  • 1998年平成10年)10月1日前橋乾繭取引所との合併により横浜商品取引所となる。

関連事項

参考文献

  • 横浜生絲取引所『横浜と絹の百年』1994年。