横手市立金沢中学校
横手市立金沢中学校(よこてしりつ かねざわちゅうがっこう)は、秋田県横手市金沢中野にかつて存在した公立中学校。 概要金沢中学校は、戦後の学制改革によって1947年(昭和22年)に開校した学校であったが[1]、2013年(平成25年)に横手北中学校へ統合し、閉校した[2]。横手市北東部の金沢地区に位置し、後三年合戦関連遺跡のある「陣館[3]」と呼ばれる丘陵地に校舎を構える[1][4]。 閉校時まで使用された校舎は1983年(昭和58年)竣工の鉄筋コンクリート構造の教室・管理棟(1145.54m2)、特別教室棟(609.09m2)と、鉄骨構造の体育館(709.22m2)で構成される[5]。土地面積は7,227.56m2[5]。 沿革略歴1947年4月1日に施行された学校教育法により「中学校」が設けられることになり、旧横手市[注 1]内には8つの中学校が誕生[注 2]、金沢中学校もここで誕生している[1]。ただ、発足時点では金沢小学校に併設する形で開校しており、独立校舎が竣工したのは1949年であった[1]。当時は資金や物資が不足しており、八幡神社参道の大木を材木として利用し、土地の造成は3年生の生徒が放課後や休日を使い行ったという[1]。 1956年9月30日に金沢町が横手市に編入し[6]「横手市立金沢中学校」と改称[4]。なお、旧金沢町の北部は1958年4月22日に仙南村(現・美郷町)へ分市し、北部と南部の両派に分かれて対立が起こるなどして学校教育にも影響を及ぼした[6]。 →分市騒動による金沢中学校への影響については「金沢孔城館 § 略歴」を参照
1982年には火災により校舎が消失[4]。翌年に再建され、その校舎が閉校まで使用されることになった[5]。 少子化に伴う中学校再編により、2013年4月に横手西中学校・鳳中学校と共に横手北中学校へと統合され、閉校した[2]。 年表以下、注釈の無い項目は学校のウェブサイトによるもの[4]。
周辺
著名出身者
脚注注釈出典
参考文献
関連項目
外部リンク |
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