楠本高子
楠本 高子(くすもと たかこ、嘉永5年2月7日(1852年2月26日) - 昭和13年(1938年)7月18日)は、日本の女性。現在の長崎県長崎市出身。 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの孫娘で、楠本イネの娘。結婚後の改姓により三瀬高子(みせ たかこ)、山脇高子(やまわき たかこ)、山脇たかとも呼ばれる。 概要楠本イネと石井宗謙の間に生まれたが、私生児であったため、天がただで授けた者との事から「タダ子」と母親イネから命名された。 幼少期の初恋は檜野家の丹治太という名の藩士である。 1864年、13歳の時まで長崎の祖母・お滝の元で育つ。幼少時は琴や三味線、舞など芸事に熱心であり、医者を嗣ぐことを期待していたイネを嘆かせていたという。 1865年、母の師・二宮敬作の縁により宇和島藩の奥女中として奉公を始める。 そして翌1866年(慶応2年)、三瀬諸淵(三瀬周三)と結婚する。三瀬はシーボルト門下の医者で、二宮敬作の甥に当たった。 1877年(明治10年)に夫・三瀬諸淵に先立たれた後、異母兄・石井信義の元で産婦人科を学んだ。 修行中に医師・片桐重明との間に男児(亡き夫三瀬周三にちなんで、周三と命名。後にイネの養子となり、楠本家を継ぐ)を設けたため、医業の道は断念したとされるが真偽の程はわからない。その後かねてより高子に求婚していた医師・山脇泰助と再婚し、一男二女を授かるが、結婚7年目に山脇は病死。 その後は叔父のハインリヒ・フォン・シーボルトの世話を受け、東京で母のイネと共に暮らした。以後は幼少時に熱心だった芸事の教授をして生計を立てていた。 親族高子には2男2女がいる。最初の夫・三瀬諸淵との間に子はいなかった。 第一子の長男・楠本周三は、東京慈恵医院医学専門学校にて学び、医師となる。 再婚した山脇泰輔との間に、第二子にあたる次男・初(はじめ)(明治14年7月1日午後1時10分、生後8か月で夭折)、長女・滝(既婚、40歳頃死去)、次女・タネ(種、米山家に嫁ぐ、105歳にて永眠)がいる。 タネの孫にサンチェス聖子、楠本周三の息子に楠本周篤、楠本周篤の妹の孫に堀内和一朗(医師、ファウストボール選手、メンサ会員)がいる。 伝記小説楠本高子を演じた人物その他
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia