森武麿森 武麿(もり たけまろ、1945年 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近現代経済史・農村社会史。神奈川大学名誉教授、一橋大学名誉教授、駒澤大学名誉教授。一橋大学経済学博士。 来歴・人物瀬戸内海にある岡山県浅口郡の大島(現笠岡市)出身。疎開先の岡山県で生まれ、すぐに福岡市博多に移り、その後中学までは東京洗足、高校から横浜市菊名で育つ。 1968年、一橋大学経済学部卒業。1975年、一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。大学・大学院では永原慶二・中村政則に師事する[1]。 1975年、駒澤大学経済学部専任講師となり、1979年に助教授、1985年に教授となる。1999年、駒澤大学名誉教授の称号を受け、一橋大学経済学部教授となる。2009年3月一橋大学定年退職。2009年4月神奈川大学法学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授就任、一橋大学名誉教授の称号を受ける。2016年神奈川大学名誉教授。飯田市歴史研究所顧問研究員。 1999年一橋大学より経済学博士。論文の題は「戦時日本農村社会の研究」[2]。審査員斎藤修、西成田豊、池享[3]。 2007年平和協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。 著書『日本の歴史20 アジア・太平洋戦争』について1982年に文部省が教科書検定で「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたとする誤報がなされ、これにより日本の外交・内政に混乱が生じた(教科書誤報事件)。すぐに事実ではなく誤報であることが判明したが、森は1993年に出版した自著『日本の歴史20 アジア・太平洋戦争』の中で「文部省検定によって『侵略』を『進出』に書き換えさせたことに対して、アジア諸国の激しい抗議の声が巻き起こった」と誤報のままの記述をしている。 日本近現代史の西尾幹二は「日本人の癖に日本になんの恨みがあるのか。なんでも日本がやったことは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの・・・この人は日本人なんだろうか、戦後教育のプロパガンダだ。読むに値しない」と断じた。 著書単著
監修
編著共著共編著脚注
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