根上淳

ねがみ じゅん
根上 淳
根上 淳
1960年
本名 森 不二雄
生年月日 (1923-09-20) 1923年9月20日
没年月日 (2005-10-24) 2005年10月24日(82歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区
死没地 日本の旗 日本東京都新宿区
身長 171cm
血液型 B型
ジャンル 俳優
活動期間 1949年 - 1998年
活動内容 映画
テレビドラマ
配偶者 ペギー葉山(歌手)
主な作品
映画
暴力の街
稲妻
八月十五夜の茶屋
砂糖菓子が壊れるとき
金環蝕
社葬
テレビドラマ
白い巨塔
帰ってきたウルトラマン
電人ザボーガー
燃える命
外科医柊又三郎
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根上 淳(ねがみ じゅん、1923年9月20日 - 2005年10月24日)は、日本俳優。本名は森 不二雄(もり ふじお)。

身長171cm[1]1950年代より大映菅原謙次と人気を二分し、活躍した二枚目スター。後年は活動の場をテレビ中心に移し、渋い脇役として存在感を示した。

来歴・人物

東京府豊多摩郡中野町(現・東京都中野区)出身。父方の祖父はオーストリアの音楽家ルドルフ・ディトリッヒ、日本名=日土理非)、祖母は森菊。父はヴァイオリニストの森乙。甥はROUTE 66THE CHAPPYSでボーカルを務めた森雅裕。杉並商業学校を経て1941年法政大学経済学部に進む。1943年学徒出陣で東部六二部隊に入隊[2]。甲種幹部候補生に志願し、厳しい訓練を受けて特別操縦見習士官として飛行訓練に入る。しかし、この頃から胸を悪くし、入院中に終戦を迎える[2]。戦友のほとんどが特攻隊ですでに戦死していたという。

戦後は、群馬県太田市に疎開していた家族のもとに戻り、復学した法政大学に太田から4、5時間かけて通った。卒業後は、進駐軍通訳として働くが、黒人兵とケンカして1年で退職する[2]

米の配給票が必要で、それを入手するには東京で就職するしかなく、「つなぎ」の仕事として東宝第2期ニューフェイスに応募するも、試験の時間に間に合わず断念。続いて1947年に大映演技研究所の3期生募集に応募したところ、これに合格する。しかし、本来は俳優志望ではなかったため、その頃はあとで別の職を探すつもりだったという[2]

しばらく仕出しが続くも、1949年『母三人』(中代富士男監督)で本格デビュー。1950年の『二十歳前後』で主役を演じてからは役に恵まれるようになり、特に1951年の『牝犬』(木村恵吾監督)のバンドマン役で注目され、根上の出世作となった。その後は大映の若手スターとして活躍。1956年6月23日には渡米してMGM映画『八月十五夜の茶屋』に出演した。帰国時の模様は同年の大映オールスター映画『スタジオは大騒ぎ』の中でも紹介されている。1967年に大映を退社、その頃には出演映画作品は100本を越えていた。

以降は活躍の場をテレビドラマに移し、NET白い巨塔』(里見脩二役)や、降板した塚本信夫の後任としてTBS帰ってきたウルトラマン』(伊吹竜隊長役)に出演するなど、存在感のあるバイプレーヤーとして多くの作品に出演した。なお、それまでのウルトラシリーズでは隊員服は隊長含めて全員同じだったものが「階級の違いを表すものをつけてほしい」という根上の希望[3]で隊員服の胸にある太いV字のラインの上に細いラインが足されることになった[4]。初登場時に搭乗していた戦闘機『マットアロー2号』も機首と垂直尾翼に黄色のラインが2本入った専用機である。

1964年、長門裕之南田洋子とともに人間プロダクションの設立に参加[5]

1965年、根上の大ファンであった歌手ペギー葉山と結婚し1968年には長男が誕生、結婚後も夫婦で本を出版し、書道の展覧会に二人で出展するなど芸能界一のおしどり夫婦として知られていた。また根上が『帰ってきたウルトラマン』、妻のペギーが『ウルトラマンタロウ』(ウルトラの母役)と夫婦それぞれウルトラシリーズの作品に出演している。

時代劇作品や刑事ドラマでは悪役も演じているが、戦争映画への出演、特に軍人役は拒否し続けた[6]1996年には戦争で生き残った大学の同級生と法政大学多摩キャンパス平和記念碑を建立している。

1998年8月、糖尿病の合併症による脳梗塞で倒れたため芸能活動を休止し自宅で療養していたが、2005年10月24日午後3時54分に死去した。82歳没[7]。告別式の模様はテレビで中継され、長門裕之愛川欽也が弔辞を述べた。ペギーは、末期の水として新婚旅行で買ったブランデーを根上の口に含ませた。また、棺には愛用の帽子ステッキ愛猫の写真、前夜にペギーがしたためた「ラブレター」などが納められた。墓所は取手市弘経寺。

根上が亡くなる直前、妻であるペギーは『ウルトラマンタロウ』のDVD発売記念イベントに参加しており、ゲストからのビデオメッセージには根上の容態を気遣う励ましの言葉が多く寄せられた。また、死去当時『帰ってきたウルトラマン』の再放送を行っていたファミリー劇場では、放送開始前に根上の死を伝えると共に冥福を祈る内容のテロップを表示した。

『帰ってきたウルトラマン』第43話「魔神月に咆える」の中で、マット赴任後無休である隊長を気遣った隊員達に後押しされて取った休暇を使っての、嫁の実家への里帰りの車中、助手席の娘がスイッチを入れたラジオから流れてきた、実の妻ペギー葉山の楽曲「南国土佐を後にして」を楽しそうに聞くという、遊び心のある演出のシーンが盛り込まれている。

『帰ってきたウルトラマン』で岸田文夫隊員を演じた西田健は、根上が亡くなった後に自身のファンサイトの掲示板で『伊吹隊長に敬礼!』とコメントを書き込み、根上への敬意を表した。

出演

映画

など

テレビドラマ

など

オリジナルビデオ

  • 修羅の雀士 ナルミ(1993年、ケイエスエス
  • 極道華の乱 姐対姉御(1995年、ケイエスエス)
  • 極道の門 二代目・流血の盃(1995年、タキコーポレーション
  • 極道の門 最後の首領<ドン>(1995年、タキコーポレーション)
  • 闇金の帝王・銀と金5 相続殺人(1995年、ケイエスエス)
  • 女豹 灼熱のスナイパー(1996年、にっかつ)

舞台

吹き替え

その他のテレビ番組

他多数

CM

著作

脚注

  1. ^ 『日本タレント名鑑'94』VIPタイムズ社、1994年、271頁。 
  2. ^ a b c d 『キネマ旬報増刊no.772 日本映画俳優全集・男優編』株式会社キネマ旬報社、2、442-443頁。 
  3. ^ 根上淳(インタビュアー:池田駿介)「独占インタビュー 根上淳」『DVD『帰ってきたウルトラマン』Vol.12 「MAT隊員手帳」』。 
  4. ^ 以降の『エース』と『タロウ』の2作品でも隊長の制服は他の隊員と異なった仕様となっている。
  5. ^ 「税制改正と体質改善」『放送エンマ帳 テレビは曲り角にきている』オリオン出版社、1967年、191頁。 
  6. ^ 1968年の東映作品『陸軍諜報33』に出演しているが、これは軍事スパイを扱ったもので、根上の役どころも軍人ではない。
  7. ^ “根上淳さん死去、妻・ペギー「あっぱれ」”. nikkansports.com. (2005年10月24日). オリジナルの2005年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051029062842/http://www.nikkansports.com/ns/general/personal/2005/pe-051024.html 2014年6月9日閲覧。 
  8. ^ テレビドラマデータベース http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-28409

外部リンク