柳家小満ん柳家 小満ん(やなぎや こまん)は、芸人の名跡。当代は落語家で、三代目を名乗る。 代外
初代いずれを初代とするか不明だが、飯泉真寿美の小満ん(後述)を2代目とし、以降代数を重ねる。
歌沢寅小満柳家 小まん(やなぎや こまん)、のちの歌沢 寅小満(うたざわ とらこま、1873年1月 - 没年不詳)は、音曲師。本名:梅村 わか。
略歴・人物古今亭今坂(梅村竹次郎)の娘。2代目富士松ぎん蝶の門で小ぎん。2代目古今亭今輔の門で小今を名乗る。のちに柳家枝女寿に改名。1895年3月に3代目柳家小さん門で柳家小春。1897年頃に柳家小三代を名乗る。1902年に柳家小まんとなる。 大正期にうた沢の寅派に入り、歌沢寅小満(歌澤寅小満)を名乗った。没年は昭和初期頃と推測される。 芸風2代目
二代目 柳家 小満ん(にだいめ やなぎや こまん、1892年9月2日 - 1972年6月29日)は、元落語家、百面相の芸人。本名:飯泉 真寿美。 略歴・人物最初は天狗連に属し、浜九里を名乗った。1910年代に二代目三遊亭圓遊に入門し、三遊亭遊喬の名を与えられる。それ以降十数年にわたり旅巡業を続けた。結婚し子供が生まれたため東京に戻り、四代目蝶花楼馬楽(のちの四代目柳家小さん)の門下に転じ、蝶花楼花蝶と改名。1934年(昭和9年)11月に柳家小満んとなる。 目が悪く、ほとんど見えなかったというが、なぜか実在人物の特徴をつかんで真似るのが得意だった[1]。1955年ごろまで高座に出たが、目が一段と悪くなり引退した。 四代目柳家小せんは実子。 3代目
三代目 柳家 小満ん(やなぎや こまん、1942年2月17日 - )は、落語協会所属の落語家。本名:栗原 理。出囃子は『酔猩々』。 経歴神奈川県横浜市生まれ。横浜市立金沢高等学校卒業、東京農工大学繊維工学部中退。 1961年5月、八代目桂文楽に入門し、桂小勇を名乗る。1965年3月、二ツ目に昇進。1971年12月、師匠文楽の死去に伴い、五代目柳家小さん一門に移籍。 1975年9月、真打昇進で三代目柳家小満ん襲名。 活動1969年に本牧亭で「桂小勇の会」としてスタートした独演会「柳家小満んの会」は、2019年11月に300回、満50年を迎えている[2]。 文字で記録し、ワープロで出力した自身の落語を2015年から「てきすと」と名づけた書籍として自費出版し、一般に通信販売している[3]。 2016年までに発行された「てきすと」17巻から入船亭扇辰と柳家喬太郎がそれぞれ演目を複数選び、その中から小満んが噺を語る落語会「柳家小満んを扇辰・喬太郎がふたり占め」が2016年8月17日、イイノホールで開催された(主催:らくご@座)[4][5]。 芸歴
受賞歴
演目古典新作メディア著書
CD
弟子真打外部リンク
脚注注釈
出典
出典
|