松平仙千代
松平 仙千代(まつだいら せんちよ)は、安土桃山時代の人物。徳川仙千代・平岩仙千代とも。 生涯徳川家康の八男として伏見にて誕生する。母は側室・相応院(亀)で、尾張徳川家始祖・徳川義直の同母兄。4歳まで伏見で暮らす。利発だったと伝えられている。 長兄・信康の傅役で徳川十六神将の一人だった平岩親吉に嗣子がいないことを憂えた家康の配慮で、親吉の養嗣子になった。 慶長4年(1599年)大坂に移るも、翌年に没した。享年6。法名は高岳院殿華窓林陽大童子。墓は山梨県甲府市・大阪府天王寺区・愛知県名古屋市の平和公園の高岳院墓地[1]にそれぞれある。 なお、仙千代の死後、養父・親吉は仙千代の弟・義直の御附家老となる。仙千代が長命であれば、兄が弟の附家老になるのは異例であるため、尾張藩主・義直とその家老・平岩家という関係に変更があった可能性もある。 ただし『徳川幕府家譜』では親吉の養子になったのは、異母兄・松平松千代とある。いかに親吉が功臣としても、同母弟が御三家筆頭となる家系の兄を養子とするとは考えにくく[要出典]、庶子の第2子である松千代の方が適当と言える。 出典 |