東志方村[1](ひがししかたむら)は、兵庫県印南郡にあった村。現在の加古川市志方町の北東部にあたる。
地理
歴史
- 沿革
- 江戸時代は一橋徳川家の領地となった。細工所村に細工所陣屋が置かれ、宮永氏が代官職を世襲した。一橋徳川家が設置した細工所陣屋の代官職であった宮永氏が、明治期・大正期に町会議員を務めた。また、殖産興業としてたばこの栽培などを奨励した。
人口
1901年末の戸数、人口は細工所村75戸、415人[2]。大沢村92戸、584人[2]。行常村35戸、242人[2]。畑村79戸、467人[2]。雑郷新村4戸、65人。東飯坂村43戸、282人[2]。東中村33戸、211人[2]。大宗村34戸、193人[2]。高畑村73戸、427人[2]。広尾村129戸、875人[2]。岡村32戸、227人[2]。野尻新田村33戸、213人[2]。
行政・政治
村長
村長は以下の通り。
郡会議員
郡会議員は以下の通り。
- 岸本惣右衛門 - 選挙年月日は1896年7月20日、住所は大宗村[2]。
- 石坂惣七 - 選挙年月日は1897年5月5日、住所は東飯坂村[2]。
- 上野義一 - 選挙年月日は1899年9月30日、1903年同月同日、住所は岡村[2]。
- 宮永浅右衛門 - 選挙年月日は1907年9月30日、住所は細工所村[2]。一橋徳川家の代官職を世襲した宮永家は、加西郡選出の兵庫県議会議員、印南郡選出の郡会議員などを輩出している。
経済
産業
1953年に刊行された『市町村別国土総攬 中巻』によれば、米8500石、麦類1866石、甘藷4万千貫、大根2万2千貫、薪材10万石である[1]。
- 商工業
『兵庫県商工人名録 大正3年』によれば、タオル製造業の稗田、酢醸造の稲岡、酒造業の稲岡、白木綿・靴下製造業の宮永、綿商の前田、米穀・肥料・荒物商の小林などがいた[4]。
- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば、東志方村の篤農家は、藤井、藤本などがいた[5]。
- 工場
地主
沼田静治や、玉田龍蔵は兵庫県の大地主である[7]。
交通
道路
現在は旧村域に山陽自動車道の加古川北インターチェンジが所在するが、当時は未開通。
出身人物
脚注
参考文献
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 『印南郡誌』私立印南郡教育会、1906年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『兵庫県商工人名録 大正3年』共益社、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商工省大臣官房統計課編『全国工場通覧 昭和9年9月版』日刊工業新聞社、1934年。
- 『市町村別国土総攬 中巻』日本国土協会、1953年。
- 兵庫県印南郡編纂『印南郡誌 後編(兵庫県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年。
- 『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』。
関連項目