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東囎唹郡
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東囎唹郡
鹿児島県東囎唹郡の位置
東囎唹郡
(ひがしそおぐん)は、
鹿児島県
にあった
郡
。
郡域
1887年
(
明治
20年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
鹿屋市
の一部(輝北町諏訪原・輝北町市成)
曽於市
の大部分(大隅町月野・大隅町境木町・大隅町荒谷を除く)
歴史
1.財部村 2.末吉村 3.市成村 4.岩川村 5.恒吉村(紫:鹿屋市 桃:曽於市 11 - 13は南諸県郡)
郡発足までの沿革
明治
初年時点では全域が
薩摩
鹿児島藩
領であった。「
旧高旧領取調帳
」に記載されている、
囎唹郡
のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り
[
1
]
。特記以外は全域が現・曽於市。
恒吉郷
- 長江村、大谷村、坂元村、須田木村
市成郷
- 諏訪原村、市成村(現・鹿屋市)
末吉郷
- 岩崎村、二之方村、南之郷村、諏訪方村、深川村
財部郷
(一部) - 南俣村、北俣村
岩川郷
- 五拾町村、中之内村
明治4年
7月14日
(
1871年
8月29日
) -
廃藩置県
により
鹿児島県
の管轄となる。
明治5年(
1871年
) -
日向国
諸県郡
下財部村(財部郷)の所属郡が囎唹郡に変更。
明治12年(
1879年
)
2月17日
-
郡区町村編制法
の鹿児島県での施行により、行政区画としての
囎唹郡
が発足。「加治木郡役所」が管轄。
郡発足以降の沿革
明治20年(
1887年
)
5月9日
- 囎唹郡のうち上記5郷の区域をもって
東囎唹郡
が発足
[
2
]
。「岩川郡役所」が管轄。
明治22年(
1889年
)
4月1日
-
町村制
の施行により、各郷に
財部村
、
末吉村
、
市成村
、
岩川村
、
恒吉村
が発足。
明治30年(
1897年
)4月1日 -
郡制
の施行のため、「岩川郡役所」が管轄する東囎唹郡・
南諸県郡
の区域をもって
囎唹郡
が発足
[
3
]
。同日東囎唹郡廃止。
脚注
[
脚注の使い方
]
^
郷については「角川日本地名大辞典」による。
^
鹿兒島縣下分郡ノ件(明治20年勅令第7号、
原文
)
^
鹿兒島縣下國界竝郡界變更及郡廢置(明治29年法律第55号、
原文
)
参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『
角川日本地名大辞典
』 46 鹿児島県、
角川書店
、1983年3月1日。
ISBN
404001460X
。
旧高旧領取調帳データベース
関連項目
消滅した郡の一覧
西囎唹郡
先代
囎唹郡
行政区の変遷
1887年
-
1897年
次代
囎唹郡