村上利夫
村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12日[2] - )は、日本の農業技術者、政治家。元福井県小浜市長(2期)。 来歴福井県上中町(現・若狭町)出身。福井県立遠敷農林学校(現・福井県立若狭東高等学校)卒業。福井県立高等農業講習所(現・福井県立大学)鯉淵学園研究科卒業。 1952年から、福井県農業改良普及員・専門技術員等。1971年から1976年まで、福井県立農業短期大学校(のち福井県立大学看護短期大学部)教授。その後、福井県農林水産部長、同県議会議員、同県農業会議会長、同県森林組合連合会長などを経て、福井県小浜市長(2000年8月から2期)。全国歴史研究会本部正会員。1998年、協同農業普及事業功労(農林水産大臣)。2001年緑白綬有功章(大日本農会)。2009年、旭日小綬章。2009年、緑化功労表彰(農林水産大臣)。 政治的主張道州制について福井県では、仮に道州制が施行された場合、所属について地方制度調査会(所在地:東京都区部)による区割り案は、9道州の場合は関西州に、11道州及び13道州の場合は北陸州、また、「熱論・合州国家日本」に掲載されている区割り案では、大前研一案が北陸道、平松守彦案が関東信越州、江口克彦案が信越北陸州とされている。 2006年(平成18年)3月1日、河瀬一治・敦賀市長は、新年度当初予算案発表会見の中で道州制について触れ、以下のように発言した。
次いで、同年3月6日には、村上利夫(当時小浜市長)も、市議会の所信表明で道州制について触れ、以下のように発言した。
一方、3年後の2008年(平成21年)8月4日に河瀬一治・敦賀市長が定例記者会見にて上述の「嶺北とは縁を切る」という自身の発言について新聞記者から質問された際には、「嶺南と嶺北を分けるのではなく、福井県が一体となって関西へ入ることが望ましい」という主旨で以下のように発言している[5][6]。
と語っている。 逸話2008年6月28日午後8時15分頃、岐阜県各務原市蘇原寺島町1丁目で、パートの46歳女性が自宅で血を流して倒れているのを帰宅した塗装工の17歳息子が発見し110番通報した。岐阜県警察各務原警察署は、殺人事件と断定、捜査本部を設置し、同居していた46歳男性の行方を追っていた。翌、6月29日未明、福井県小浜市内で同居人の46歳男性が使用していた軽自動車が見つかり、岐阜、福井両県警が捜索を開始した。7月1日午後7時25分頃、小浜市東勢にある村上市長宅の離れに隠れているのを、帰宅した市長らが見つけ、市職員が福井県警察小浜警察署に通報。署員が付近を捜索し、約20分後に勢浜海水浴場近くの海に潜っているのを発見した。海水を飲み衰弱しているといい、捜査本部は回復を待って殺害方法や動機を調べる。 関連項目
脚注
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