本多康完
本多 康完(ほんだ やすさだ)は、近江膳所藩の第11代藩主。康俊系本多家宗家11代。 生涯7代藩主・本多康桓の嫡子でのち廃嫡された本多忠薫の長男。先代藩主・本多康匡の養嗣子となり、康匡が天明元年(1781年)12月に死去したため、翌年2月22日に跡を継いだ。寛政2年(1790年)12月より御所造営を担当して、後桜町天皇や幕府から賞賛された。文化3年(1806年)10月8日、38歳で死去し、後を弟の康禎が継いだ。 系譜父母 正室、継室 子女
養子
|
本多康完
本多 康完(ほんだ やすさだ)は、近江膳所藩の第11代藩主。康俊系本多家宗家11代。 生涯7代藩主・本多康桓の嫡子でのち廃嫡された本多忠薫の長男。先代藩主・本多康匡の養嗣子となり、康匡が天明元年(1781年)12月に死去したため、翌年2月22日に跡を継いだ。寛政2年(1790年)12月より御所造営を担当して、後桜町天皇や幕府から賞賛された。文化3年(1806年)10月8日、38歳で死去し、後を弟の康禎が継いだ。 系譜父母 正室、継室 子女
養子
|