本多康完

 
本多康完
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和6年(1769年
死没 文化3年10月8日1806年11月17日
改名 千吉(幼名)→康完
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
官位 従五位下、隠岐
幕府 江戸幕府
近江膳所藩
氏族 本多氏
父母 父:本多忠薫、養父:本多康匡
兄弟 康完康禎忠升
正室:秋元永朝の娘
継室:板倉勝志の娘
娘(戸田忠禄正室)、娘(高力某室)、娘(高木某室)、娘(藤懸某室)
養子:康禎
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本多 康完(ほんだ やすさだ)は、近江膳所藩の第11代藩主。康俊系本多家宗家11代。

生涯

7代藩主・本多康桓の嫡子でのち廃嫡された本多忠薫の長男。先代藩主・本多康匡の養嗣子となり、康匡が天明元年(1781年)12月に死去したため、翌年2月22日に跡を継いだ。寛政2年(1790年)12月より御所造営を担当して、後桜町天皇や幕府から賞賛された。文化3年(1806年)10月8日、38歳で死去し、後を弟の康禎が継いだ。

系譜

父母

正室、継室

子女

養子