本多忠升
寛政3年(1791年)10月9日、本家の近江膳所藩の嫡子本多忠薫の四男として生まれる。享和2年(1802年)7月に神戸藩の第4代藩主本多忠奝の養子となる。享和3年(1803年)、忠奝の死去により家督を継いだ。 大坂加番代、江戸城各門番、日光祭祀奉行代などを歴任した。藩政では藩学を朱子学に統一し、藩校を教倫堂と改めた。天保11年(1840年)9月20日、病気を理由に家督を次男の忠寛に譲って隠居する。安政4年(1857年)4月に剃髪して昧翁と号した。安政6年(1859年)8月22日に死去した。享年69。 系譜父母 正室
子女
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