本多康匡

 
本多康匡
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦7年(1757年
死没 天明元年12月20日1782年2月2日
改名 政吉(幼名)→康匡
戒名 翻香院殿端心正道大居士
墓所 東京都江東区白河霊巌寺
官位 従五位下、主膳正
幕府 江戸幕府
近江膳所藩
氏族 本多氏
父母 父:本多康伴
養子:康完
テンプレートを表示

本多 康匡(ほんだ やすただ)は、近江膳所藩の第10代藩主。康俊系本多家宗家10代。

生涯

第9代藩主・本多康伴の長男。明和8年(1771年)、父の死去により跡を継ぐ。しかし生来から病弱なこともあって天明元年(1781年)12月20日、25歳で死去し、跡を養嗣子の康完が継いだ。

系譜

父母

養子