木下利当
木下 利当(きのした としまさ、旧字体:利當)は、備中国足守藩3代藩主。足守藩木下家3代。淡路流槍術(木下流槍術)の開祖。 略歴第2代藩主・木下利房の長男。旗本木下利次の兄。正室は叔父木下延俊の娘。子に木下利貞、瀬川正長、永昌院(関長盛正室)、種(杉原勝興正室)、雪(杉原勝興継室)。官位は従五位下淡路守。 慶長8年に生まれ、同18年(1613年)に駿府を訪れて徳川家康に拝謁する。元和3年(1617年)から江戸に出て将軍徳川秀忠に伺候するようになった。寛永3年(1626年)、将軍の上洛に供奉し、同年8月19日、従五位下・淡路守に叙任された。 寛永14年(1637年)の父の死去により、同年9月に家督を継ぐ。寛永19年(1642年)には仁和寺造営の奉行を務めている。 文武両道に優れ、特に槍術に関しては古今無双と呼ばれるほどの腕前で、その槍術は淡路流、または心流・木下流などの名で世に広まった。剣術でも小野家より小野派一刀流を学び、剣術書『一刀流剣術書』を著わしている。 寛文元年に59歳で死去した。法名を大光院殿剣峯宗利大居士。跡を長男の利貞が継いだ。 系譜参考文献
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