有馬清純
有馬 清純(ありま きよずみ)は、江戸時代前期から中期の大名。日向延岡藩主、越後糸魚川藩主、越前丸岡藩主。晴信系有馬家4代。延岡藩の先代藩主・有馬康純の長男。 略歴延宝7年(1679年)11月27日、父の隠居により家督を継いだ。このとき、弟の純息と純富に合わせて2800石を分与している。しかし藩政において悪政を敷いたことから、元禄3年(1690年)に領内で山陰・坪谷村一揆が起こり、その責任を問われて元禄5年(1692年)に無城大名に格下げの上で越後糸魚川に移封させられた。 元禄8年(1695年)5月、越前丸岡へ移封となる。元禄15年(1702年)12月10日、59歳で死去し、跡を嫡男の真純(一準)が継いだ。 系譜父母 正室、継室 側室
子女
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