春木町
春木町(はるきちょう)は、かつて大阪府泉南郡に存在した町である。現在の岸和田市北部にあたる。 本稿では、前身の北掃守村(きたかもりむら)についても述べる。 歴史南郡春木村の集落はもともと地内東側(山側)に形成されていたが、天正年間に焼亡し、沿岸部に移った経緯がある。 1705年(宝永2年)に浦方の居住区となる南部を南春木として分立し、南春木は南東に隣接する加守村の一部となった。また、1730年(享保15年)に焼亡前の集落所在地のあたりに再度形成された集落を新春木として分立したが、新春木は春木村の一部として扱われた。なお、南春木は1874年(明治7年)に再度春木村の一部となった。 明治中頃まで、南郡春木村と和泉郡春木村(現・和泉市春木町)を区別するために「里春木」「山春木」と呼び分けられることがあった。なお、「山春木」のほうは松尾谷一帯に成立した中世の荘園名に由来するため、ほかにも春木川村(現・和泉市春木川町)があった。 町村制施行に際して、「里春木」も「山春木」も自治体名に春木を採用せずに「北掃守村」「南松尾村」となった。その後、「里春木」のほうでは市街化が進み、春木駅が開業したこともあって、北掃守村が町制を施行するにあたって自治体名に春木を採用した。 このような経緯から、現在春木といえばほとんどこちらを指し、道路の案内標識においても、岸和田市の春木各町は単に「春木」と表示され、和泉市春木町は「春木(和泉)」のように表示されている。ただし、東洋紡糸工業春木工場の「春木」は、和泉市の春木町を指す[1]。 沿革
町長地理河川・池沼町名春木町時代には、各大字に通称町を設置していた。
以下は旧・八木村
岸和田市合併翌年の1943年(昭和18年)には、各大字に「町」を付した12町になった。 現在の町名春木町(もと大字春木)では1965年(昭和40年)に通称町を活かした15町が成立したが、大芝小学校区となる3町は春木を冠しない町名になっている。1967年(昭和42年)には沿岸部の埋立地に新たに2町が成立した。 なお、現在春木地区といった場合、もと春木・磯上の2大字を指し、吉井および旧・八木村の10大字は含まないことが多いため、ここでは記載していない。
以下は沿岸部の埋立地。
経済
交通鉄道以下は旧・八木村に位置する。 道路以下は旧・八木村を通る。
脚注
参考文献
外部リンク
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