日本の合唱作品100選日本の合唱作品100選(にほんのがっしょうさくひんひゃくせん 100 Japanese Choral Masterpieces)は、社団法人全日本合唱連盟附属合唱センター(全日本合唱センター)が1993年(平成5年)に発表した、100曲の合唱作品。「関屋晋令夫人を偲んで」という副題がつけられており、英題の正式名称は 100 Japanese Choral Masterpieces to the memory of Mrs. Sekiya となる。同連盟の会報『ハーモニー』86号(1993年秋号)にて発表された。 経緯この企画は、合唱指揮者であり全日本合唱連盟の副理事長を務めていた関屋晋の妻が、1992年(平成4年)の春に亡くなったことをきっかけに始まった。関屋から全日本合唱センターに100万円が寄付され、その際「日本の合唱の発展を祈念」[1]していた彼女の意志を生かすようにとの願いが託されたという。センター側はこれに応えて、「日本の代表的な合唱作品」を選びその楽譜をベルギーの世界合唱センターに寄贈することを考えた。世界合唱センターがまだ発足まもない頃であり、特に日本の合唱作品資料がほとんどなかったことが背景にある。 全日本合唱連盟理事長佐藤陽三(合唱指揮者)、全日本合唱センター館長皆川達夫および関屋の3人を中心に、全日本合唱連盟の理事やその他合唱連盟関係者、田中信昭(合唱指揮者)、長谷川冴子(合唱指揮者)など外部の人間の意見も加えて選び出されたのが、後で紹介する100曲である。選定にあたって、皆川たちは「一人の作曲家、ひとつのスタイルに偏することなく、多様な様相をとりながら発展しつづけている日本の合唱界の全容が把握できるように心がけ」たという。リストの中にはもともと合唱曲ではない作品(独唱曲からの編曲)がいくつか含まれている。「先人たちの名前と業績を残したい」ということでとりあげられているが、「椰子の実」(大中寅二)や「浜辺の歌」(成田為三)については、作曲家本人による合唱編曲もありながら他人によるものが選ばれている。「合唱のためのコンポジション」(間宮芳生)のようなシリーズものは1つとして数えられている。 1993年8月にバンクーバーで行われた世界合唱連合(国際合唱連合。世界合唱センターはこの組織によって運営されている)の総会の際、皆川が100曲の目録を提示した。その後、日本の合唱曲の楽譜においては歌詞のローマ字表記や外国語訳が整備されていないことが多いため、外部の人間に翻訳を依頼。100曲が世界合唱センターへ贈られたのは7年後の2000年(平成12年)9月である。 2019年、「JCDA合唱の祭典2019 第20回北とぴあ合唱フェスティバル」の中で、「改めて古典を。~『日本の合唱作品100選』(1993)より~」と題したコンサートが開催され、100選の中から14作品が歌われた。 一覧順番は全日本合唱センターが発表したものを踏襲。作曲家の名前をローマ字にしたうえで、アルファベット順に並べている。元のリストには左に作曲家名(漢字表記、ローマ字表記)、右に作品名(原題、ローマ字表記、一部について外国語[おもに英]題)が掲載されている。ここではローマ字表記は割愛し、かわりに作詞/作詩者名を付した。外国語題は楽譜やCDなどに表示されているものと異なる可能性があるが[2]、ここではセンター発表のものに従った。
脚注
参考文献
外部リンク
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