新青梅街道新青梅街道(しんおうめかいどう)は、東京都新宿区西落合三丁目から同都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎に至る[1]青梅街道のバイパス道路である。 地理通過する自治体は以下の通り。全て東京都の自治体である。 新宿区 - 中野区 - 杉並区 - 練馬区 - 西東京市 - 東久留米市 - 小平市 - 東久留米市 - 小平市 - 東久留米市- 東村山市 - 東大和市 - 武蔵村山市 - 西多摩郡瑞穂町 交差する道路
路線名以下都道で構成される。東京都通称道路名設定公告(1984年5月1日)整理番号85[1]。それぞれの区間に付いての詳細は、以下を参照のこと。
経路起点(大江戸線落合南長崎駅、中井駅北方)から久米川駅まで西武新宿線と並行し、この区間では東京都心部と西武鉄道沿線(新宿線のみならず交差道路を介して池袋線も)を連絡する役割を持つ。 起点の西落合一丁目交差点で、九段下、JR目白駅方面から西行してきた目白通りが西北西方向に斜め右折し、直進方向が本街道となる。その後、緩やかな屈曲を繰り返しながら更に西へ進行し、環七通りの丸山陸橋と交差すると線形はほぼ直線となる。更に西の井草三丁目交差点では環八通りが井荻トンネルとして地下を南北に通過する。六差路の富士町交差点では富士街道と交差し、西東京市の北原交差点からは青梅街道(所沢街道)と交換するように片側2車線に広がる。 東村山市から東大和市にかけては、計画幅員18mに対し、概成幅員14〜16mほどの区間が存在し、車道だけでなく歩道も非常に狭隘であり、通行に十分注意を要する。この先の区間では萩山駅近辺で西武鉄道の線路が密集している場所を避けるルートを取る。その後、東大和市内の奈良橋庚申塚交差点で都道5号旧道(青梅街道)と交差し、ここから新青梅街道が青梅街道より南を通る。青梅街道は旧来の屈曲が多いコースを取るが、新青梅街道は幾度かのカーブを経ながらも直線区間が長く続く。 多摩都市モノレール上北台駅の北に位置する「上立野東」交差点から先は、武蔵村山市内を縦断し、箱根ヶ崎アンダーパス付近に至るまで拡幅事業・モノレール延伸事業が行われており、沿線には用地取得に伴う置きガードレールが目立つ。モノレール開業後は6つの駅が道中に設置される計画である。 八高線を越えた直後、瑞穂松原交差点にて青梅街道に合流し、新青梅街道は終点となる。終点の瑞穂松原交差点では青梅方面から向かって直進が新青梅街道、左折が青梅街道となっている。 歴史新青梅街道に該当する都市計画道路は以下の通り。
このうち、江戸時代には「江戸道」や「江戸街道」、明治時代には「東京街道」と呼ばれた、箱根ヶ崎から田無に至る道路が元々存在していた[2][3]。箱根ヶ崎から武蔵村山市内および、東大和市狭山五丁目にある「東京街道入口」交差点より東は新規に敷設されたが、箱根ヶ崎のある瑞穂町内および東大和市狭山五丁目から田無までの道は新青梅街道の開通以降も「江戸街道」として存在している[4][注釈 1][注釈 2]。 なお、江戸時代から明治初年の旧道の頃は、道沿いに住む人々にとって青梅街道(当時は青梅道と呼ばれた)よりも江戸への近道であったため、活況していた時期もあったが、明治中期から昭和にかけて寂れていき、農家が点在するだけとなっていた[5]。
脚注注釈
出典
関連項目
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