新日本観光地百選新日本観光地百選(しんにほんかんこうちひゃくせん)は、戦後占領期の1950年(昭和25年)に毎日新聞社が主催して選定された100か所の日本の観光地[1][2]。後援は運輸省観光部、文部省文化財保護課、厚生省国立公園部、国鉄、GHQ経済科学局[1]。 概要「交通機関の終着点から徒歩1時間以内」との条件で、ハガキによる人気投票という形式をとった[3]。1950年(昭和25年)7月30日に公募を開始し[3][4]、9月15日に締め切り[4]、10月11日に発表された[3]。各観光地の関係者が競って応募したため、応募総数は7750万0854通に及んだが、組織票の取り扱いが問題になった[3]。全体の1位は蔵王山の233万0676通[3]。 10の部門(山岳、平原、温泉、瀑布、海岸、河川、都邑、湖沼、渓谷、建造物)ごとに10位までを選定し、合計100か所を選定した。各部門の1位となった10か所については、郵政省が「観光地百選」シリーズの記念切手を発売するとともに、国鉄は十月中旬の観光週間に10ヶ所それぞれを目的地とした特別周遊券を発行、また、歌人・俳人10人(斎藤茂吉、吉井勇、荻原井泉水、釈迢空、山口誓子、水原秋櫻子など)が1人ずつ各場所にちなむ短歌や俳句を作って紹介した[1]。尚、11月2日には、11位から15位までで、5万票以上獲得したところ、38ヶ所が準入選地として選定され、観光ルートの設定に考慮されることになった。 これらの選定された所では、記念碑の建立や祝賀会、記念行事が催されたり、山岳部門で1位となった「蔵王山」ではこれを機に、その西麓にある山形県南村山郡堀田村が村名を蔵王村に、同村内の温泉である高湯も蔵王温泉へ、そして奥羽本線金井駅も蔵王駅に改称されている。宮城側の宮村、円田村も合併を機に蔵王町としており、両麓の地域が蔵王にあやかろうとしたのが見て取れる。 新日本観光地百選の選定は、外貨獲得のための外国人観光客招致を大きな目的としていた[1]が、戦後復興期だったため、日本国内での一般の観光旅行の再開を促す契機ともなった。 選定地
記念切手
脚注
関連項目
外部リンク
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