斉藤淳
斉藤 淳(さいとう じゅん、1969年5月29日 - )は、日本の教育者、政治学者。J PREP 斉藤塾代表。民主党衆議院議員(1期)。元イェール大学政治学科助教[注釈 1]。イェール大学Ph.D。 来歴・人物山形県遊佐町生まれ。山形県立酒田東高等学校、上智大学外国語学部を経て、同大大学院で修士号を取得[2]。 米国イェール大学大学院政治学研究科で、主に日本政治を研究していた、2001年秋、民主党本部が公募した国政選挙の候補者に応募し[2][3]、加藤紘一が元事務所代表の脱税事件や自身の政治資金流用問題で辞職したことに伴い実施された2002年10月27日投開票の、第42回衆議院議員補欠選挙(山形県第4区)に「庄内から日本を変えたい」と、高速道路無料化や農業者戸別所得補償制度の導入を主張して立候補。民主党県連顧問であった阿部昭吾のグループ、連合山形傘下の労組、大学生らの勝手連「もっけ連」らが積極的に動き、51437票を獲得して初当選した[4]。当選後、衆議院農林水産委員会に所属した。 公職選挙法改正によって、一票の格差是正のため山形県の小選挙区が1減となり、それに伴い、庄内・最上地方にあたる区域が新たな山形3区となり実施された2003年11月9日投開票の第43回衆議院議員総選挙に党公認で再選を目指し出馬するが、みそぎ選挙と位置づけ、無所属で出馬した加藤に52260票差をつけられ敗れた[5]。 落選後、党県3区総支部長兼県連会長代行を務め、2004年7月の参院選山形県選挙区に県連から出馬を打診されるが、前年春の酒田市長選の候補者推薦を巡って、阿部と対立し和解はしたものの、支部運営の混乱を収束できず、力量不足を痛感したとして、2004年3月に不出馬を表明。党役職の辞表を星川保松筆頭会長代行に提出し[6]、その後、渡米してイェール大学に復学。2006年に博士課程を修了、Ph.Dを取得した。 2012年、イェール大学を退職して帰国。東京・自由が丘と酒田市に英語教室 Logos(現:J Prep 斉藤塾)を創設。現在に至る[7]。 経歴
著作単著
共著
翻訳共訳
受賞歴
注釈出典
外部リンク
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