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この項目では、仏教用語としての放逸について記述しています。「放逸」の語義については、ウィクショナリーの「放逸」の項目をご覧ください。 |
放逸(ほういつ)、プラマーダ(巴: 梵: Pramāda)は仏教が教える煩悩のひとつである。放恣であり善行に専心しないこと。なまけること。 仏道に励まないこと[3]。
懈怠と似ているが、放逸は、懈怠および貪・瞋・癡の三不善根の上に、悪を防がず、善を修せざる状態に対して、特に指摘されるものである。『阿毘達磨倶舎論』などでは、五位七十五法のうち、大煩悩地法の一つに数えられる。『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち大随煩悩である。
釈迦は、「なまけることなく(不放逸, appamāda)、自己を完成せよ」という遺誡を残して入滅した。
handa'dāni bhikkhave āmantayāmi vo,
vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
さあ比丘たちよ、いまあなたたちに伝えよう。
さまざまの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。
抜粋
有益なことを多く語っても、放逸の人はそれを実践しない。
牛飼いが他人の羊を数えるように、彼は沙門の仲間に入らない。[3]
不放逸は不死(涅槃)への道である。
放逸は死への道である。
このことをよくよく知って、不放逸を守る賢者たちは、
不放逸に喜びを見出し、聖者の境地を楽しむ。[3]
—ダンマパダ,21-22
出典
参考文献
関連項目