慧慧(え、梵: prajñā, mati)は、仏教用語で下記の2つの意味がある[1]。
心所としての慧慧は善・不善・無記の三性(さんしょう)に通じ、善慧は正見や正慧とも称する[1]。悪慧(不善と不覆無記)のうち、特にはたらきの激しいものを悪見と称し、五見とする[1]。 宗派ごとの扱い心所としての慧の位置づけについて、宗派ごとに説がある[1]。 倶舎宗
唯識宗
天台宗
般若と音写される慧→詳細は「般若」を参照
脚注注釈出典関連項目 |
慧慧(え、梵: prajñā, mati)は、仏教用語で下記の2つの意味がある[1]。
心所としての慧慧は善・不善・無記の三性(さんしょう)に通じ、善慧は正見や正慧とも称する[1]。悪慧(不善と不覆無記)のうち、特にはたらきの激しいものを悪見と称し、五見とする[1]。 宗派ごとの扱い心所としての慧の位置づけについて、宗派ごとに説がある[1]。 倶舎宗
唯識宗
天台宗
般若と音写される慧→詳細は「般若」を参照
脚注注釈出典関連項目 |