不正知(ふしょうち、梵: asaṃprajanya[1]、巴: asampajañña[2])は仏教の用語で、理解力の欠如を指す[2]。
不正知は、知ってはいるものの、間違って知ることである。『発智論』では「非理所引の慧である」と説明される[1]。
不正知は『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち大随煩悩である。
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