慢
慢(まん)とはサンスクリット語のMāna(マーナ)に由来し、仏教が教える煩悩のひとつである[1]。他人と比較して思い上がることを言う。慢は渇愛(タンハー)より生まれる[1]。 俗に我慢といい、我が身をのみ頼みて人を侮るような心を指す。 慢は以下として取り上げられている。
なお、他者と比較せずに自惚れている状態は憍(きょう)という。サンスクリットのMānaを憍慢と翻訳する場合もあるが、憍と慢はやや異なった煩悩とされ、慢は他と比較して起す驕(おご)りで根本的な煩悩とされるが、憍は比較することとは無関係に起る。家柄や財産、地位や博識、能力や容姿などに対する驕りで付随して起す煩悩であるとされる。これを随煩悩ということもある。 種別慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢の七慢の総称としても用いる。また八慢、九慢とすることもある。いずれにしても、他と比べて自らを過剰に評価して自我に捉われ固執し、福徳や悟りを具えていないのにそれらを修得していると思い込む煩悩をいう。 「私」という幻覚が生まれること自体が、慢の始まりなのである[1]。「私」という幻覚が生まれると以下のように、自分を標準として他人を判断するようになる[1]。 パーリ経典パーリ経典の経蔵では十結のひとつに挙げられている[2]。慢を基準に物事を判断することを壊した人は、菩提の境地に至るのである[1]。
脚注
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