扶綏県
扶綏県(ふすい-けん)は中華人民共和国広西チワン族自治区崇左市に位置する県。 地理広西チワン族自治区の南西部にあり、崇左市の東部に位置し、南寧市から約45km圏内、崇左市から約76km、憑祥市友誼関から約150km、防城港市から約160km、ベトナムハノイから約300kmの距離。扶綏県の西部は崇左市江州区と接している。北部は南寧市隆安県、東部と北東部は南寧市江南区と接し、南部は防城港市上思県、南西部は崇左市寧明県と接する。扶綏県の中心部は新寧鎮の扶綏駅周辺に住宅地や商店街が立ち並び長生地域における人口・商業の場となっている。 地形扶綏県は、左江沿いの低地と南部台地からなり、南部四方嶺の蕾煙泰山(標高834.5m)は県内の最高峰。水田は北西部の下霊・淥井・維旧と南部の六頭・那江・板包に広がっており、畑地帯は竜頭郷、東門鎮の郝佐と自堯、渠黎鎮の汪荘、渠蒔、岜邦の平坦部に位置し、比較的農業に適している。農業はサトウキビを中心に発展した。
気候扶綏県は亜熱帯地域に位置し、春の平均気温は15.5℃、夏の平均気温は22℃、年間平均気温は21.9℃前後、年間降水量は約1270mm前後。夏場は市内の中では特に気温が上がり、猛暑日になる日も珍しくない。一方、冬場は崇左市並みに温暖で気温が氷点下になることはほとんどなく、雪が降ることは非常に珍しい。またトマト、ライチ、オレンジ、マンゴー、バナナ、スイカ、メロンなど亜熱帯地域の気候に適した野菜や果物が栽培されている。[1] 民族歴史古来、チワン族人の住む地であり、唐代の前に西原蛮地に属した。唐代の貞観10年(636年)に、嶺南西道管轄の羈縻州である籠州が設置され、州庁所在地が現在の扶綏新寧鎮に置かれた。天宝(742年 - 756年)初頭には、籠州が扶綏郡に改称された。大暦6年(771年)に、嶺南道の安南都護府が管轄する羈縻西原州が設置された。北宋の皇祐5年(1053年)に、チワン族の歴史における民族英雄である儂智高の起義が失敗した後に、宋王朝により康山黄峒地に永康県が設置され、元羈縻籠州の地に武黎県が設置され、元羅籠県の地に羈縻忠州が設置され、邕州の管轄とされた。扶綏は武黎県の管轄に属し、元代まで沿襲された。明代初期には、武黎県が武黎・華陽・沙水・呉従の4つの峒に分かれて、嘉靖年間(1522年 - 1566年)に、武黎・華陽・沙水・呉従の4峒が武黎・華陽・沙水・呉従の4都に改編。隆慶6年(1572年)に、武黎・華陽・沙水・呉従の四都と如禾県の一部が合併して新寧州が設置され、扶綏はその管轄に置かれた。清代は基本的に明代の行政区画を踏襲した。
行政行政区画
県委書記・県長
役所
県の行政機関
直属機関
直属事業単位
国・自治区・市の機関
人口
資源
扶綏の森林面積は9.23万エーカーがあり、県全体の40.12%を占める。県内では、国家保護されている貴重な植物であるゴールデンカメリア(学名:Camellia nitissima)がある。
扶綏県の鉱物種は非常に豊富で、石炭、鉄、マンガン、アルミニウム、亜鉛、コバルト、ニッケル、方解石、石灰石、重晶石、水晶、大理石など20種類以上の鉱産資源がある。
扶綏県の山圩鎮では、1973年に1.3億年前の恐竜の化石が発掘された。これらは世界有数の竜脚類恐竜の化石であり、中国では「恐竜化石の郷」として知られている。 経済産業主な産業:サトウキビ栽培、サイザル麻栽培、砂糖(蔗糖)業、サイザル麻加工業、セメント業と鉱業。
サトウキビ栽培は1990年代に始まり、現在は耕地面積の2/3をサトウキビ栽培が占め、栽培農家数・栽培面積・生産量とも中国の最大[要出典]。
現在のサイザル麻栽培面積は約12万エーカーがあり、世界のサイザル麻栽培総面積の約1/3を占める。
扶綏県内では、扶南東亜公司と東門南華公司の二つの大きな製糖会社があり、毎年恒例のサトウキビ原料産量は500万トンに達し、産糖量は66万トンである。「蔗糖の郷」と呼ばれている。[5]
県内では、2社のサイザル麻製品加工企業があり、サイザル麻製品は6000トンに達し、現在は中国最大規模のサイザル麻の生産加工基地を建設している。[6]
県内では年間のセメント生産量は500万トンに達し、中国の南西部のセメント・建材の生産基地となっている。
主に石炭を生産している。 農業渠黎鎮、渠旧鎮、東門鎮、柳橋鎮や中東鎮北部には広大な農地が広がる。サトウキビやサイザル麻などの畑作が中心だが、落花生、キャッサバ、スイカ、黒皮トウガン、リュウガン、ライチ、バナナ、マンゴーなどの野菜・果樹栽培も盛んで、黒皮トウガンの栽培では、広西最大の栽培と加工基地である。 養殖業地元の農家の副業として、主にカメ、カメやヘビを養殖している。 交通鉄道
路線バス高速バス
一般路線バス
道路
水路
教育学校幼稚園
小学校
中学校
専門学校
高等学校大学
文化民俗文化扶綏県の民俗文化としてはチワン族中心である。県内のチワン族人は歴史が長く素朴で多彩な民間歌謡を保存してきている。その民謡は民間の習俗と関係があり、内容が豊富多彩で原始的な特徴を作り上げた。チワン族民謡は交際、宣伝、教育、娯楽等の役割以外にも、歴史的価値、学術的価値、芸術的価値、実用的価値があり、それはチワン族の遥か昔の歌謡文化遺産である。その中で特に藍衣チワンの民俗文化は際立った特色を持つ。藍衣チワンは全身藍装束が有名で、広西チワン族自治区の各県に分布しているが、扶綏県内では、主に岜盆郷の楞投桃花村に居住している。毎年恒例の旧暦3月3日「三月三」(サームニッサーム、Samnyied sam)は、墓参の後、多くの藍衣チワン族人々が着飾って、歌坂広場で歌を歌い上げる祭典、「歌節」(かせつ)が行なわれ、男・女間で即興の歌を歌い、愛情を伝え合うという風習があり、民族舞踊や「歌合戦」などを披露するイベントも行われている。 結婚の習俗や儀礼は黒衣チワンと同じだが、嫁入りの際にも親族による歌の掛け合いが行われる習慣がある。また、1980年代ごろまで、結婚しても子どもが授かるまで嫁と夫が数年間別居を続ける「不落夫家」の習慣があった 祭日主な祭日は、春節(旧暦1月1日)、元宵節(旧暦1月15日)、端午節(旧暦5月5日)、中元節(盂蘭盆会、旧暦5月5日)、中秋節(旧暦8月15日)、重陽節(旧暦9月9日)など漢族・チワン族共有の民族伝統的な祭日がある。そのほか、チワン族の祭日は、旧暦2月2日の土地公祭(豊作祈願)、旧暦の3月3日のお墓参り祭や三月三歌節、旧暦4月8日の麦熱節(仏浴節、牛魂祭りともいう)、旧暦8月8日の秋祭、旧暦7月14の鬼節、旧暦10月の収穫節(十割節、九割祭ともいう)が重視される。 食文化扶綏県の食文化としては米食中心であるが、一年を通じて野菜がとれる環境にあり、白菜、瓜類、豆類などの野菜を多く食べる。チワン族農家は自宅でブタ、ニワトリ、ガチョウなどを飼育して食用とし、一部には犬食文化やヤギの料理もあるが、草食で農耕に必要な水牛は一般に食べない風習をもつ。県内のチワン族人春節、三月三、重陽節のハレの料理としては、内臓を取ってショウガを入れた鶏を丸ごと煮る白斬鶏が一般的である。 名物姑遼茶、東門鶏、新寧城廂イチゴ、扶綏サツマイモ糍粑(もち)、竜頭焼猪、渠旧赤瓜子(カボチャの種)、竜頭白餅、竜頭納豆、竜頭黒欖、鳳荘香米、小南瓜、渠旧涼糕(あんみつに近い)、新寧黒皮果砂糖きなど。[11] 公共施設文化施設
運動施設
医療施設
観光
主な県出身者
脚注外部リンク |