手塚貴久
手塚 貴久(てづか たかひさ、1964年9月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。慶應義塾大学商学部卒。日本調教師会会長、日本中央競馬会運営審議会委員[1]。 父の佳彦は元足利競馬場の調教師。またライスシャワーなどを管理した調教師の飯塚好次は伯父(母の兄)[2]。息子の手塚貴徳は美浦・相沢郁厩舎所属の調教助手で2025年度の新規調教師免許試験に合格している[3]。 来歴父・佳彦は足利競馬場の調教師であり厩舎に住んでいたが、競馬に興味を持ったのは学生の時からだという[4]。 1989年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、10月より美浦・相川勝敏厩舎所属の厩務員となる。 1990年3月、美浦・佐藤林次郎厩舎所属となり、4月からは美浦・佐藤全弘厩舎所属の調教助手となる。 1998年、調教師免許を取得する。 1999年、3月1日付けで厩舎を開業する。3月6日、初出走となった中京競馬場での第5競走では、ドウカンロドリゴが10着だった。4月11日、中山競馬場での第3競走に出走したフォージドチャンプが勝利し、のべ13頭目でJRA初勝利を挙げる。第16回フェアリーステークスをベルグチケットが制し、開業1年目でJRA重賞初勝利を挙げた。 2005年、第56回全日本2歳優駿をグレイスティアラが制し、GI初勝利を挙げる。 2013年、第73回桜花賞をアユサンで優勝し、クラシック初制覇を果たした。同年、東京競馬記者クラブ賞を受賞。 2021年6月24日、管理馬の薬物検出事案により大竹正博が2か月の調教停止処分を受けたことに伴い、ブラストワンピースなど大竹厩舎の全管理馬58頭が手塚厩舎に転厩となり、JRAより22馬房の臨時貸付を受けた(8月23日まで)[5]。 活躍馬が短距離に偏っていることから「短距離偏重」の厩舎としても有名だが、近年はフィエールマンやユーバーレーベンなど中~長距離の活躍馬も出てきている。 また、父・佳彦が足利競馬場の調教師(ドージマファイターなどを管理)をしていたことから、旧北関東競馬(廃止)に人脈が豊富である。開業後、初勝利を挙げるまでには苦労をしたが、当時、足利で馬を持っていた藤田与志男にアメリカの競りに連れて行ってもらう。その際、「日本をたつ前に初勝利を挙げたらお祝いで1頭好きな馬を買って良い」と言ってもらい、実際に初勝利したことで買ってもらえたのがマルターズホークだった。マルターズホークは2000年の共同通信杯(G3)で3着するなど活躍した。実績を残したことで藤田はその後もアメリカに誘ってくれた。ある年、競りに上場される馬を引いていた男から声をかけられ、見ると以前アメリカで修業していた時に一緒に調教に乗っていた男であった。それを見ていた藤田はその男が引いていた馬を購入。それがマルターズホークの半弟シベリアンホークであった[6]。 調教師成績
主な管理馬※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。
主な厩舎スタッフ脚注
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