ドージマファイター
ドージマファイターとは、日本のサラブレッド競走馬である。日本におけるサラブレッドの平地競走連勝記録をもっている。中央競馬から登録抹消されたあとに地方競馬の宇都宮競馬場・足利競馬場で連勝記録を作り、その経歴から当時の世相を反映して「リストラの星」というあだ名が付けられていた。 経歴1995年9月に中央競馬でデビューしたが5回出走して未勝利に終わり、5戦目のレース後に骨折。競馬番組の関係から未勝利戦への出走が不可能となったため、地方競馬(足利競馬場)へ移籍した。移籍後1996年2月から2000年11月にかけて負けなしの29連勝を達成。この記録は、2020年1月にばんえい競馬のホクショウマサルが更新するまで、日本における最多連勝記録であった[1]。なお、日本におけるサラブレッドの平地競走に限れば、同馬が最多連勝記録である。連勝記録が話題となりはじめて以降、ドージマファイターが出走する日には普段の倍近い観客が競馬場を訪れた[2]。 体重が500キログラムを超える巨体の持ち主で、蹄に負荷がかかることによる慢性的な裂蹄に悩まされた。そのため1996年に約半年間休養したほか、長期間の休養を数回とりながら連勝を続けた。27連勝を達成したレースではレース中に落鉄し、蹄が大きく割れるアクシデントに見舞われながら勝利を飾った[3]。 2001年10月6日、右前脚に発生した故障を理由に引退が発表され、翌日に引退式を行って7年間の競走生活を終えた。引退後はにいかっぷホロシリ乗馬クラブで乗馬として過ごし、2003年9月に競技中の事故により死亡している。 血統表
父のペンシルプッシャーはアメリカで5戦未勝利に終わった馬だが、本馬の他に札幌3歳ステークスでスカーレットブーケの3着に入ったバッキンガムシチーらを出している。 4代母レスリーカリムの孫に安田記念を制したハッピープログレスがいる。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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