戸田光正 (孫十郎)
戸田 光正(とだ みつまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本。通称は孫十郎。別名に光高、光澄。文殊戸田家初代。 略歴美濃国加納藩初代藩主松平光重の次男として誕生。幼名は申松、初名は光真。 寛文4年(1664年)6月13日、4代将軍徳川家綱に拝謁する。寛文8年(1668年)、兄の光永が家督を相続した際、美濃国本巣郡・方県郡・席田郡5000石を分知され、寄合に列する。 元禄15年(1702年)没、享年59。貝塚の青松寺に葬られた。子孫は幕末まで旗本として存続する。 系譜参考文献
|