慶華公主
慶華公主(けいかこうしゅ、경화공주)は、高麗の第27代王忠粛王の妃。モンゴル人で、本名は伯顔忽都(バヤン・クトゥク)。 家系について多くは不明であるが、森平雅彦は元の皇族アムガの娘の金童(忠粛王の妃)の姉妹ではないかとする[1]。妻の死後にその姉妹を娶るソロレート婚になる[2]。 忠粛王に降嫁したのは、おそらく1330年から1333年である[2]。『高麗史』には、忠粛王の死後、継子の忠恵王が酒に酔った勢いで慶華公主を強姦し、無理やり愛妾としたと記されている[3]。 1367年に元より粛恭徽寧公主(숙공휘령공주)を贈諡される[1]。 家族脚注
参考文献
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