愛洲忠行

 
愛洲忠行
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 不明
官位 伊予守
幕府 室町幕府 神領奉行
氏族 愛洲氏
政勝
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愛洲 忠行(あいす ただゆき)は、室町時代後期の人物。伊勢神宮神領奉行

略歴

宝徳2年(1450年)の『相加竈文書』[1]の竈山法度が初見である[2]

文明11年(1479年)12月27日、内宮引付で伊勢神宮一禰宜の荒木田氏経は、蔵方牢人の内部抗争で、忠行が仲裁の労を執った事について謝意を表している。氏経は忠行を「御奉行」と表現しており、当時忠行は神領奉行の地位にあったと分かる[3]

田丸城を有しており、北畠政郷の子・政勝を養子にして田丸城を継がせたという[4]

脚注

  1. ^ 「竈方古文書」と呼ばれる。文書の内28通が三重県文化財に指定されている。
  2. ^ 竈山法度は以下の通り

    法度

    • 一、 竈引越たるあとにても嶋近所の者竈山よりきり候ば曲事に可仰付事
    • 一、 竈山きり候ニ付無主候は町をうちちかき郷へ可有御尋事
    • 一、 かまやまの近所のくさ山やき候は竈山へ火の入らざるやうに可任候自然かま山へ火入候は山やき候郷可有御成敗事

    右條々依仰如件 宝徳弐年三月廿日 惣竈年寄中 忠行(花押)


  3. ^ 御巫清直「田丸城沿革考」(嘉永年間初版)より。
  4. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』

出典