御霊神社 (奈良市)
御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、奈良県奈良市薬師堂町にある神社。旧社格は村社[2]。南都御霊神社・木比御霊[3]とも呼ばれる。 延暦19年(800年)に桓武天皇の命令で創建された[1]。元興寺五重塔跡の南西に鎮座し、井上皇后・他戸親王等八所大神を祀っている。西紀寺町の崇道天皇社とともに南都二大御霊社とされる。 歴史新都である平安京で疫病が流行し、その原因は怨霊であるとした桓武天皇は、旧都である平城京の3つの入り口にそれぞれ、上つ道には早良親王を祀る崇道天皇社、下つ道には他戸親王を祀る他戸御霊社、そして中つ道には井上皇后を祀る当社・井上御霊社を造営することとした。 延暦19年(800年)に創建されたばかりの大和国宇智郡(現・五條市)霊安寺・御霊神社から井上皇后の御霊を勧請し当社を創建すると、御霊会を行っている。かつては元興寺南大門前にあり、その門前は井上町と呼ばれる。元興寺古図には南大門脇に神輿舎が描かれている。
と記されている。 宝徳3年(1451年)10月20日の土一揆による元興寺焼き討ちの火災のため当社も消失し、後に現在の地に遷宮された。以後は元興寺の鎮守社としての役割も強くなり、『大乗院寺社雑事記』では元興寺御霊社と記され、文明15年(1483年)9月13日の条には、『今日元興寺御霊祭也、頭人高畠郷ニ在之云々、此社ハ御霊八所之内、藤原之左上臣時平公云々』とみえる。祭神もこの頃には『南都名所集』にると吉備真備以下の八所御霊を祀ると記されている。『八重桜』にも元興寺鎮守として吉備大臣を祀ったとある。 明治時代になると村社に列せられ、更に神饌幣帛料供進社となっている。 祭祀疫病流行の際には、中街道に井上皇后、上街道に早良親王、下街道に他戸親王の神輿を据え、疫魔の侵入を防ぐという信仰があった。現在も70ヶ町5000余軒の広範な氏子層を持つ。健康長寿、家運繁盛、平和の神として広く信仰を集め、例祭では神輿が2年かけて70ヶ町全てを巡る行事が今にまで伝わる。 『奈良坊目拙解』によると、氏子圏は北は餅飯殿町の南の辻、南は京終村、東は鵲町・鶴福院町、西は大森村・杉ヶ町を限りとして64町に及び、例祭の神輿渡御の行列も華美であった。 古くは例祭は9月13日で、神主は興福寺の工匠座である寺座の大工が勤めた[6]。 祭神本殿西神殿東神殿境内
境外兼務社宝物脚注参考文献
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