広田稹

広田 稹(ひろた しげる、1913年10月1日 - 1987年1月5日[1])は、日本の外交官

来歴・人物

新潟県出身。1937年外交官試験に合格後、38年3月東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、外務省入省。アジア局第4課長、同第2課長、バンクーバー領事、大臣官房人事課長、経済局外務参事官、アラブ連合共和国大使館参事官等を歴任。1961年9月ハンブルク総領事、65年5月より中南米移住局長、翌年11月経済協力局長、68年1月より大臣官房審議官を務めた。

その後、ベネズエラ、マレーシア、オランダ駐在大使を歴任した。1975年12月退官。翌年、熊谷組顧問に就任。

1982年退社後、83年11月勲二等旭日重光章を受ける。1987年死去。

栄典

脚注

  1. ^ 『新版 日本外交史辞典』871頁。

参考文献

  • 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年。
先代
西山昭
外務省経済協力局長
1966年-1968年
次代
上田常光