広島県立広高等学校(ひろしまけんりつひろこうとうがっこう)は、広島県呉市広大新開三丁目に所在する公立高等学校。
概要
- 歴史
- 1942年(昭和17年)創立の旧制中学校と翌1943年(昭和18年)創立の高等女学校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革によりそれぞれが新制高等学校となり、翌1949年(昭和24年)に両校が統合された。2017年(平成29年)に創立75周年を迎える。
- 設置課程・学科
- 全日制課程・普通科
- 校歌
- 1951年(昭和26年)に制定。作詞は小川二郎、作曲は山本寿による。歌詞は2番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
- 生徒歌
- 全日制課程 - 1955年(昭和30年)に制定。作詞は打田勝彦、作曲は藤山一郎による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「広高」が登場する。
- 定時制課程(2022年に閉課程) - 作詞は古田博保、作曲は岡崎邦朗による。歌詞は3番まであり、3番に校名の「広高」が登場する。
- 制服
- 冬服はブレザー。男女ともにネクタイを着用する。
- 姉妹校
- バーンサイド高等学校
沿革
出典[1]
- 1942年(昭和17年)4月 - 「広島県立呉第三中学校」が設置される。当初広島県立呉第一中学校[2]で授業を開始。校章を制定。
- 入学資格を国民学校初等科を修了した12歳以上の男子とし、修業年限を5年(現在の中1から高2に相当)とする。
- 1943年(昭和18年)4月 - 呉第一中学校校舎の借用を終了し、広町の新校舎に移転を完了。
- 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1から高1に相当)となる。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)9月 - 元・広海軍工廠工員養成所(広町大新開10,430番地)に分校舎を設置。
- 1946年(昭和21年)
- 4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 12月 - 分校舎の敷地が進駐軍に接収されたため、一部を横路旧兵舎に移す。
- 1947年(昭和22年)
- 4月 - 学制改革(六・三制)が行われる。
- 旧制中学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年生はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 7月 - 横路分校舎を廃止。
- 1948年(昭和23年)5月 - 学制改革により旧制中学校が廃止され、新制高等学校「広島県広津高等学校」(男子校)が発足。併設中学校を継承。
- 定時制課程を設置。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1943年(昭和18年)4月 - 「広島県立呉第二高等女学校」が設置される。当初広島県立呉第一高等女学校[2]に併設される。
- 入学資格を国民学校初等科を修了した12歳以上の女子とし、修業年限を4年(現在の中1から高1に相当)とする。
- 1944年(昭和19年)4月 - 三坂地国民学校(呉市立三坂地小学校の前身)へ移転を完了。
- 1946年(昭和21年)
- 3月 - 吉松校舎へ移転を完了。
- 4月 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制)が行われる。
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校4・5年生として在籍した(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)5月 - 学制改革により高等女学校が廃止され、新制高等学校「広島県緑丘高等学校」(女子校)が発足。併設中学校を継承。
- 高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- クローバーの校章を制定。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 1949年(昭和24年)
- 4月30日 - 高校三原則に基づく公立高等学校の再編により、上記2校が統合され総合制の「広島県広高等学校」が発足。男女共学を開始。
- 5月 - 定時制分校2校(向・上蒲刈)を設置。
- 7月 - 校章を制定。
- 10月 - 第1回体育祭を開催。
- 1950年(昭和25年)
- 8月 - 同窓会が発足。
- 12月 - 第1回文化祭を開催。
- 1951年(昭和26年)7月 - 校歌を制定。
- 1954年(昭和29年)2月 - 校旗を制定。
- 1955年(昭和30年)10月 - 全日制生徒歌を制定。
- 1961年(昭和36年)4月 - 生活科を家政科に改称。
- 1962年(昭和37年)
- 4月 - 通常制課程を全日制課程に改称。
- 11月 - 健武館が完成。
- 1963年(昭和38年)
- 3月31日 - 家政科を廃止。普通科のみとなる。向分校の生徒を本校定時制と上蒲刈分校に分配し収容。
- 5月 - 体育館兼講堂が完成。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 向分校を廃止。上蒲刈分校を「蒲刈分校」に改称。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 蒲刈分校が安芸郡蒲刈町田戸に移転。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 「広島県立広高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が付される)。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 全日制課程において、呉市内(広島県第6学区)の県立高校3校(広、呉三津田、呉宮原)の間で総合選抜を開始。
- 1985年(昭和60年)3月 - 新図書館・食堂が完成。
- 1988年(昭和63年)11月 - 新体育館兼講堂が完成。
- 1989年(平成元年)3月 - 旧体育館兼講堂を改修の上、健武館とする。
- 1992年(平成4年) - トレーニングハウス、同窓会事務局室、グラウンドの整備が完成。
- 1993年(平成5年)- C館にエレベーターを設置。
- 1997年(平成9年)3月 - この時の入試をもって総合選抜を終了。
- 1998年(平成10年)- 単独選抜を開始。指定中学校6校に対して推薦入試を開始。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 普通科に国際文理コースを設置。
- 2003年(平成15年)3月31日 - 蒲刈分校(最終所在地:〒737-0403 呉市蒲刈町田戸2234,北緯34度11分47.5秒 東経132度43分23.8秒)を廃止。
- 2008年(平成20年)1月 - 新A館の耐震工事を完了。
- 2010年(平成22年)
- 2月 - 解体された旧A館跡地にE館が完成。
- 4月 - 国際文理コースの募集を停止。
- 2012年(平成24年)3月31日 - 国際文理コースを廃止。
- 2013年(平成25年)8月 - バーンサイド高等学校と姉妹校締結。
- 2022年(令和4年)3月 - 定時制課程を閉課程。[3]
年間行事
※ 全日制課程のみ
- 6月 - 体育祭
- 9月 - 合唱コンクール、広高祭(文化祭)
部活動
- 文化部
- 運動部
- 同好会
周辺
著名な出身者
脚注
関連項目
外部リンク